こぼれ落ちる前に、
私の思考をただ連ねるだけのnoteも、長い時間を置いても再開できるnoteも、それがとても心地いいような、そんな気がしている。
最近は進路についてとか、
後5ヶ月ほどで訪れる大学院卒業のこととか、
自分の私生活のこととか、
色んなことを考えなくてはならない機会が増えた。
考えなきゃならないのは私も分かってる。
だって私に残された学生生活って後5ヶ月しかない。
選ばなきゃいけないのも私は分かってる。
だって5ヶ月後には学生生活が終わってしまうから。
何かを頼まれた時。
それをどうにか叶えたいと思うことが殆どで、忙しい、終わらない、と自分が本来やらなくてはいけないことを中途半端にした。
異性から“なにか”を仄めかされた時。
“それ”は叶えられないけど、どうにか元の場所に戻そうとして、覆って、隠して、中途半端な言葉を返した。
「全部選び取りたい」
なんて、そんな贅沢なことは現実的じゃない。
「ずっとこのままでいたい」
なんて、そんな贅沢なこと許されたりしない。
何かを選ぶことは何かを選ばないこと。
いつも考えている気がするけど、最近の私はこれで頭がいっぱいで、自分が進みたい方向に進むためには何を選ばなきゃ行けないのか、選ぶために何を捨てなきゃ行けないのか、そもそも自分が進みたい方向ってなんなんだろうとか、色んなことを言ってもらってるけど本当に必要なのだろうかとか、私がやらなくても、私が選ばなくてもそれを選ぶ誰かは他にいて、それなら私はどこにもいれないんじゃないか、とか。
色んなことがぐるぐる回って、結局何も選べないまま、悩んでるうちに全部両手からすり抜けてしまうんじゃないかって考えたりもする。
こんな弱い部分を理解してくれていた大切な大切な人は、もう私の手からすり抜けていってしまったし、他の人にこんなこと言ったって、結局他人だからどうもしてくれない。
すり抜けて、落ちていってしまう前に、選ばなきゃ。
そのためには今の自分を見つめ直して断る力を身につけなくては。
全部私のそばにあって欲しいし、私のことを必要として欲しいし、今のままでいたいと叫ぶ私の心は、断ることが苦手で。
断り方を知らなくて。
断った先の未来を恐れて、一歩踏み出してはくれない。
どうしたら、どうすれば、変えられるのだろうか。
変える必要があるのだろうか。