たぶん、これがわたしなりの愛し方
わけの分からないことにむしゃくしゃする。
自分から見て不可解なこと、行いにも。
でも、そこにはきっと理由がある。
それを知ろう、知りたい、と思って尋ねて、
受け入れようとする。
いや、受け入れるとまでいかなくとも
認識し、それを拒絶しないことが
その人自身をまるごと肯定し、
愛することになるのではないか?
と、ふと思った。
もちろん、自分も人間だから
自分の中に、自分の価値観がある。
自分の中に
自分なりの善し悪しがある。
それも在るものとして受け入れ、
自分の中になかったソレを
受け入れようとしてみる。
その時点で、
十分愛がある行為なんじゃないかなあと
思ったのでした。
深夜の戯言です。
お付き合いいただきありがとうございます。