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亡き祖父に贈る

1 訃報

「息とまった」
 買い物から帰宅したちょうどその時、父からLINEが来た。父方の祖父が亡くなったらしい。私は妻に留守を頼んで車に飛び乗り、祖父のもとへと向かった。秋の深まった夜のことだ。

 私にとって、身近な人の死というのは、18年前に母方の祖父が亡くなって以来である。当時は小学校6年生だったが、余り記憶が残っていない。通夜の際に樒(しきみ)で末期の水を行ったことと、出棺する時に急に悲しくなって涙が止まらなくなり、「じいちゃん、じいちゃん」と棺に縋(すが)ったことだけは覚えている。

 私は、近くに住む弟を拾った後、実家の母と合流し、祖父母宅へと歩いた。
「お父さんは3時くらいから行っとる」
 父は、祖父の最期を看取ることができたようだ。

 祖父が亡くなったというのは本当だろうか。つい数時間前に、自宅療養をしている祖父の顔を見に行ったばかりなのである。その時には呼吸が荒かったため会話はできなかったものの、「じいちゃん」と問い掛けると、目を合わせて反応することもあった。医師からはあと数日だと伝えられていた。
 半年くらい前にも、いよいよかもしれない、と親族が呼ばれたことがあったが、その時は、奇跡的に回復してご飯も食べられるようになったのだ。バーベキューもした。今回も何だかんだで元気になるはずだ。きっと大丈夫だろう、と思うようにしていた。

 なかなか実感が湧いてこない。歩みが自然と速くなった。気付けば夜風が冷たくなっていた。

2 祖父の死

 祖父母宅に着いた。玄関を入り、祖父が療養している和室へと入ったら、父、祖母、伯父母、従妹がいた。もちろん、祖父も。祖父は、いつものようにベッドで寝ていた。
 いつもと違うのは、祖父は、もう生きてはいないということだ。

 祖父は、寡黙な人だった。寡黙といっても単におとなしかったわけではなく、亭主関白というやつだ。子ども心に、祖父には逆らってはいけない、という思いがあった。
 そういった畏怖のようなものを祖父に抱いていたせいか、物心がついてからの祖父との記憶はあまりない。

 ひとつだけ鮮明に覚えているのは、小学生の頃に祖父の畑仕事を手伝っていた時のことだ。私は、アブラゼミやゴマダラカミキリムシなど昆虫を捕まえるのに興じていた。ふと捕まえたゴマダラカミキリムシを祖父に対して嬉しそうに掲げてみせたのだ。祖父はそれを受け取った。私は、自分の気に入った虫を渡したので、祖父がどんなことを言ってくれるのか楽しみにしていた。褒めてくれるかもしれない。すると、祖父は、首をちぎって捨てたのだ。衝撃だった。
 このことは、度々思い出すことがあるが、祖父の農業に対する実直な姿勢が現れた行動だったと、今となって思う。

 祖父は、数年前から難病を患い、歩くことが難しくなっていた。体が弱っていくにつれ、厳格だった祖父が柔和な性格へと変わっていき、話をすることが以前よりも増えた。
私が祖父に顔を見せに行ったときは、私と祖母の会話を祖父が聞いているという形が多かった。祖母が祖父の耳元で私の近況を伝えると、祖父は、「おう。ほうか」と言って私に満面の笑みを向けてくれていた。

 祖父の亡骸を目の当たりにしても、まだ生きているのではないかと思ってしまう。数時間前に会った時と違わないじゃないか。いや、むしろ苦しそうにしてない分、元気になったようにも見える。「じいちゃん、急いで駆けつけたのに元気そうでえ。びっくりしたわ」と言ったら、「おう。ほうか」と満面の笑みを向けてくれそうな気さえする。
 祖父の頬に触れてみた。冷たかった。心なしか固さも感じる。息はしておらず、体は全く動いていない。よく見ると、顔からは赤みが引きつつある気がする。もう頭では、理解することはできる。
 祖父は、もう生きてはいない。
 

3 祖父という人


 その後は、通夜、葬儀、法要、と仏事が続き、瞬く間に納骨を終えた。祖父には、数えきれない程の親族がいて、現在まで交流が持たれていたため、多くの参列者がいて驚いた。祖父の従弟妹から、祖父はお酒が大好きで、寂しがり屋だったことなど、祖父の生い立ちや人となりが分かる話を、祖父に関する様々な話を聞くことができた。祖父のことを語る人はみんな、幸せそうな顔をしていた。

 私は覚えていなかったが、祖父母、弟、従兄妹で何度も温泉に行っていたらしい。私と従兄が弟をからかって浴場の洗い場でおしっこをさせ、祖父を困らせたこともあるようだ。
 他にも寺社など色んな所へ連れていってもらったり、たくさんの時間を一緒に過ごしたりしたようだが、私は小さかったので覚えていないことが多い。でも、きっと祖父はその楽しい思い出を一つひとつ覚えているはずだ。

 最後に、出棺する直前の祖母の姿が特に印象的だった。晩年の祖父は要介護状態で、苦労したことの方が多いにもかかわらず、祖母は、色とりどりの花で一杯になった棺の中にある祖父の顔を撫でながら言った。
「じいさん、長い間ありがとう」

 祖父は、みんなから愛されている。

 仏壇に線香を上げ、“りん”を鳴らす。合掌して心の中で念じる。
「じいちゃん、また来るけんな」
 遺影の中の祖父は、満面の笑みを向けて言いそうだ。
「おう。ほうか」

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