通り雨が濡らしてくれれば良かったのに。
雨の予報は明日からだったはずなのに、いつの間にか今日の夕方からになっていて、それでもいいからと部屋を飛び出した。
昨晩聞いた言葉がえらくぶっ刺さって、今日じゃないといけない気がしたから今日は外に出た。
昼過ぎには支度を済ませて、知らない街まで自転車で行った。ここまでは来たことがある、ここからは行ったことがない、という境界は歩道橋だった。長い緩やかな坂道を登って空を漕ぐ。レンガがガタガタで車輪の跡は音になる。
初めての道をまだ進む。想像より店が多くて、でも特に用もないから今後はほとんど来ないだろうと思った。
迷っても自分の記憶を信じられるくらい真っ直ぐ進んで、また歩道橋があった。地図によるとこのあたりを曲がるはずだというところで見渡してみると目的地はもうすぐそこだった。歩道橋を渡る。
用事を済ませて、とか言葉にすれば簡単なことだった。最悪の結果を想像して、別に何も怖くないと自分に言い聞かせたけど、口は渇いて足の力も抜けていくものだから自分さえも頼りにならなくて不安だった。
何も聞かないで帰るのだけは嫌だった。夜になって後悔するようなことはしたくなかった。
ただちょっと聞くだけ、が全然できなくて昨晩聞いた言葉を反芻する。口まで吐き出して、噛み砕いてまた飲み込む。ついでに好きな作家の言葉を読んでみる。
客観視できれば何も怖くないから。そんな言葉も蘇ってきて、上から自分を見つめてみた。たった一言なのに凄い緊張していた。何も考えることないよと言ってやりたくなった。
自分はいつも客観視の視点が間違っていたんだと気づく。こう見られるだろうと恥ずかしくなるんじゃなくて、弱い部分を滑稽に捉えれば笑いになるからその方がいい。どうして今まで気づかなかったんだろう。
そして上から見た自分は小さくなって、なんだか面白かった。このくらいの気持ちで生きていきたいと本気で思った。感覚は、望んでいる時点で自分に備わっていないということだから難しいんだろうな。
どちらかになるだろうという想定の良くない方に落ち着いた。いちばんの悪い結果はせっかくきたのに何もしないで帰ることだからその上だった。
好きな子を呼び出して告白する時ってこんな感じなのかなとか思った。自分はきっと今日みたいに声が震えるんだろうな。それを自覚してもっと情けなくなるんだろうな。でもやっぱり伝えることに意味があるよな。
だから自分も最悪の結果ではなかったはずだ。別に誰が悪いわけでもなかったし、相手の対応も親切だった。何も間違っていない。需要と供給が一致しなかっただけのことだった。
帰りに本屋に寄った。店内にはクラシックとラジオが流れていた。落ち着いた雰囲気で好きだった。棚は低いけれど、雑誌が充実していて、街の本屋さんという感じだった。
今日行った街はもう行くことはないかもしれない。高架下みたいな空気感の街で、綺麗ではなかったけれど、なぜか落ち着く感じだった。たまに行ったり通ったりするにはちょうど良い街だった。
夜間飛行と書かれた看板の店はきっともう潰れていた。繁栄と退廃の空気が共存したようなこの街並みによく合っていて、行ってみたくなった。
古本屋では1冊だと恥ずかしいからと3冊も漫画を買ってしまった。まだ読んでない本がたくさんあるのに。大きめの本だから鞄の中で嵩張って、やり場のない苛立ちみたいな存在感があった。
少し降った通り雨はあまりに少なくて、濡らしてもくれなかった。声には出さないけどこんなこともできないのが情けなくて泣きたくなった。鬱陶しさだけ残すならいっそのことずぶ濡れにしてくれれば良かった。
その方がずっと綺麗で詩的だったと思うよ。雲に言ったって伝わらないし、濡れたところで詩は書けないかもしれない。詩を書いたところで何もないのにね。
その街では誰のことも思い出さなかった。ただ俯瞰して見たあの小さい自分が今の自分を見透かしているような気がした。
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