知能がない、視線、懸命にたどって。
知っている前提だらけなのも分からないことばかりになるけれど、あまりにすべてを知らない前提で抽象的に書かれるのもどうなんだ。具体を失うのは、世界と溶け合っているとも言えるけれど、そのほとんどが個を曖昧にしてしまうことだろう。
知らない固有名詞を少しずつ覚えていくこととか、知ってる名前が繋がっていくこととか、そういう世界の広げ方を忘れかけていることを思い出した。
雑誌を読んで知らなかったミュージシャンや作家を知るだとか、気になる言葉を調べたらそれが使われていた時代や背景に興味を持つだとか、そういうことをまだしていたいのだ。文化はそうやって繋がれていくものだろう。
何が言いたいかなんてものは特にないけれど、インターネットで目を引くように飾られた薄っぺらい記事ばかり読んでいても退屈だって思った。もっと偏っていたいし、どうでもいいことばかり気になっていたい。
今日は朝に寝て昼過ぎに起きるという、怠惰の代名詞みたいな睡眠をとった。起きて、ラジオ聞いて、ひとつのバンドのことばかり書かれた記事を読んで存分に偏っていられた。
それから音楽に溺れていたら日が暮れた。いつの間にか、散歩に行きたかった気持ちも消え失せてしまった。