バツが悪いなら色は違うはずだよ。
昨夜はずっと起きていて、朝方溺れるような感覚のまま寝た。
今日起きたのは昼過ぎで、ご飯を食べたらすることがなくなった。本当はすることなんて山のようにあるけれど、ありすぎると何も見えなくなるのと同じで今日は何もなかった。
好きな作家がおすすめの本を紹介していた。どこでそんな本や作家を知るんだろうと思うくらい初めての本ばかりで読みたくなった。強い刺激に慣れてしまうと、これまでのが退屈に感じてしまう。もっと新しい感覚を知りたくて知らなかったところまで泳ぐ。そうやって深く深く潜っていけるのは面白い。
夕方ごろ着替えて外に出た。スーパーに行って、食べ物を買う。降雪の影響で届かない商品があったようだった。それだけ遠くからいつも運んで来てくれているんだと実感した。
そして古本屋で読みたくなった本を探した。新品で買うと外国人作家の本は軒並み高い。それに古い本はもう本屋にない。
知らない作家ばかりの棚を見て回って、やっと見つけたのは1冊だけだった。それだけ会計に持っていくのもなんか気が引けるから、まだ店内を練り歩くと欲しい本が数冊あったからまとめて買った。
もっと今の感覚をぶち壊してくれる表現を探している。それは新しさの中にあるとは限らないし、とても昔からある問題なのかもしれない。昔から相当な数の人間が繰り返した思考の中に答えはあるかもしれないし、ないかもしれない。見つけたって、もうそのころには満足できないくらいに麻痺してしまっている可能性だってある。
今日はなんとなく元気がない日だった。今日は、というか昨日、もしかしたらもっと前からかもしれない。寝る前に詩を書いたら暗い言葉が出てきた。吐き出した分、楽になるわけではないから難しい。むしろ吐き出したものを文字という形で見てしまうと実感するからより落ち込むことだってある。
今日は好きなバンドの新譜と、好きなミュージシャンの最近知った曲を聞いていた。過去、気持ちが凄く落ちていたときの感じを思い出した。知らないなら分かってほしくなんてないのに、気持ちを言い当てられたようで苦しくなる詩だった。
あのとき、あの子が同じ気持ちだったら随分救われる気がした。でもきっと違うから自分は苦しかったんだろう。もう思い出したくないのに、たまに傷口を抉っては痛々しいその様をじっと見つめてまた落ち込むんだ。
本を探しながら、書けないならせめて読めばいいと思った。過剰な摂取はいつだって頭をおかしくさせるだろう。極限まで感覚を尖らせれば、何かには刺さるような気がした。
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