ロマンチックへの陶酔は見ていられないから。

今日は午前中には起きた。時間も覚えていないし、曜日も忘れていた。

ご飯を食べて、音楽を聴いていた。浴びていた。酔っていた。

ひたひたに浸かって、パンならいいのに、自分はただのスポンジだとか思った。何かに絞られたらこの言葉も音も抜けてしまうのが嫌だった。

好きでもない声の歌を好きになってしまいそうだった。笑えないほどの鋭利さを見た。同情も共感もできないのに、惹きつけられる。そういうものこそ良い音楽なのかもしれない。

ギターの音なんてよく分からないし、木がどうとか年代がどうとかも全然知らない。でもメーカーごとのイメージはあって、それはただの知識によるものなのかもしれないけれど、今日聞いた音楽のギターは軽やかだと思った。でも音が粒だっていて、軽やかさと繊細さが共存できることの凄さを感じた。

何においても、軽やかでありたいし、繊細さも捨てたくない。どうして同じ軸にあると思っていたんだろう。強みはひとつである必要はないし、弱みがあってはいけないということもない。ちょうど良いバランスを保っている儚さが人を惹きつけるはずなのに、いつもそれを忘れてしまう。存在しない完璧を夢見て、落ち込んだり諦めたりするんだ。

同じ空を君も見てるかな、みたいな歌詞が軽くなるのは、君を向いているからだと気づいた。人間の大きさや小ささを知っていて自然の流れを言葉にするなら、感受性が練り込まれて、そんな歌詞も優しさになるんだろう。

それから何をしたか抜けている。とにかく音楽を聴いたり弾いたり、昨日と同じようなことをして、気づいたら夕方になっていた。

欲しい服を買うか迷って、今回は我慢するぞと決めた。日が暮れ始めたころ、外に出た。

雨が降っても良いように歩いて買い物へ行った。カメラを持って写真も撮った。風が強くて、初めて見える世界があった。これまで意識に留まらなかっただけなのに、その鈍感さは棚に上げて自分勝手に彩度を上げていた。

数滴の気にするほどでもない雨を浴びて、帰宅した。あとは感傷的にならないで、ただ楽しいだけの夜にしたい。

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