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20241111
「慣れるっていうのは感覚が麻痺するっていうことだからな」。
今日読み終えた本の終盤に、こんなセリフがあって、ドキッとしてしまった。
なんていうか、図星を突かれたというか。
仕事でも日常生活でも無意識的に感覚を麻痺させながら暮らしていること、もはや最近はそれが当たり前すぎて忘れかけていた。
でも感覚を鋭敏にしながら日々過ごしていたら、めちゃくちゃ疲れる。
私の場合はそのボリュームのつまみが壊れているので、ONにするかOFFにするかしかない。
仕事中は、もちろんOFFだ。
もし誤ってONにしようものなら、今すぐ貧乏ゆすりを始めながら、時に踊り出しながら、時に歌いながら仕事をし始め、些細なことにブチ切れ、泣き喚いてしまうだろう。
そんなんで社会生活を送れるはずがない。
だからできる限り感覚をOFFにする。
誰が何を言ってきても、聞かれたこと以上のことは勘ぐらない。今日は隣にいる代表が体調悪そうだったけれど、必要以上に心配しない。
それくらい意識的に感覚をOFFにしていないと、正直やってられない。労働人生はNOだから。
ただでさえHSPの自覚がある私は、それくらいしないとすぐに摩耗して疲れてしまう。
でも麻痺させたままずっといけるのか?と問われると、すぐに頷けない自分もいる。
麻痺しない人間と麻痺させながらなんとか生きる人間、どちらが良いとか悪いとかの二元論じゃ片付けられない問題だ。
でも私はやっぱり適度に麻痺させないと生きていけない。
問題から目を背けて逃げ続けるのも時には有効打だろう。でもやっぱり直視しなきゃいけない時もある。
そんな時がもう少しで来る、なんとなくそんな予感がしている。
向き合った先に何があるのかは、まだわからないけれど、やっぱり自分に嘘をつき続けるのにも、限度というものがある。
日々ライブや映画に行きまくっているのも、現実逃避と言われればそれまでだ。
いつかは現実に直面した状態でライブや映画を楽しめる時は来るのだろうか。
今はただ、逃げて、逃げて、なんとか暮らしている実感がある。
来年の3月で30歳になる。
それまでは逃げ続けていようかと思う。
逃げた先は、30代の私がどうにかしてくれると思う。
それくらいの希望は持ってもいいだろうか。
でも不安ばかり持っていても仕方ないし、今は毎日を全力で生きて、楽しむ。その積み重ねが未来を創ると思うから。
ちなみに今日読み終えた本は、小野寺史宜『まち』だ。
前作の『ひと』がすごく良くて感銘を受けたので、内容も多少リンクしてる『まち』も読んだ。
彼のストーリーに触れていると、なんか人間って悪くないものだな、と思えてくる。
人は1人で生きているわけではない。そんな当たり前のことを真正面から教えてもらえるような、そんな温かい物語だった。