伝えたいことがあるのなら、人はその言葉を手に入れる【外国人技能実習生への日本語教育】
もし話したいことがあるのなら、伝えたいことがあるのなら、きっと人はその言葉を手に入れる。語るべきことを持つことは、語る言葉を持つよりもずっと初めにあって、それでいてずっと難しいことなのだ。
(『図書館の魔女 第3巻』高田大介)
こうやって引用している間にもぞわっとする。それくらいこの一節はかなり腑に落ちた。それは、仕事で毎日毎日その事実を目の当たりにしているから。
今年1月、私にとって「伝説の10人」が学校に入ってきた。それぞれについて語りたいけど、今日はその中で特に印象に残っている1人を紹介したいと思う。ここではF君と呼ぶ。F君は外国人技能実習生としてベトナムからやって来た男の子。22歳。
外国人技能実習生は大抵の場合、ベトナムで半年以上日本語を勉強してから日本に来て、私がいる学校で1ヵ月日本語や日本のルールを学び、それから企業に行く。F君は本当にベトナムで教わってきたのか疑いたくなるほど、最初は「へっぽこ」だった。自分の名前すらカタカナで書けなかった。そこまでなのは初めてだった。のくせに、「みんなの日本語」は27課まで習ったという…。えええ。
初めのテスト(JLPT N5)の正答率は53%。大体15課までしかやってなかった子が40%くらいだから、自分の名前が書けないにしては、とりあえず本当に同じ教室で座って27課までの授業は受けていたらしい。カタカナを書けない衝撃はあったが、期待していなかった分、絶望的ではないという印象。ただこの成績はベトナムで同じクラスだった同期メンバー他9人の中で最下位である。
でも、このF君がすごかった。F君は日本語はかなり粗削りだが、話したい欲がすごかった。こういうタイプはたった1ヵ月でも飛躍的に上達すると経験で分かる。
むしろ日本人しかいない環境なのに全く日本人と話そうとしない子は、同じ授業を受けていてもあまり成績に変化がない。それは入国時の成績に関係なく、50%台は50%のまま、80%も80%のまま。
だから、私たちとしてはペーパーテストだけができる子が一番困る。その子をなんとか話せるようにしないと、企業に行った時にみんなが困るからだ。周りはその子が一番日本語ができると思ってるから頼るが、本人は動かない文字、変化しない文章、十分な時間の中でしか日本語ができない。
つまり、生の日本人の声を聞き取れず、何か発しようといっても頭の中にある日本語をどう話せばいいのか分からないのだ。まさに、学生時代、英語を勉強する私の状態である。テストにしか対応できない。まあ、このパターンはまた日を改めるとして、ここではF君だ。
F君は上記の子たちとは全く逆。とにかく日本人と話してみたい。日本のいろいろなものが気になる。そして、1番良いのはつまらないプライドがないことだった。拙い日本語をどれほど周りに笑われようと一切気にせず話し続けた。自分を笑っている友達と一緒になって笑いながら、何かしらいつも日本語を話していた。
周りにすごく日本語ができて日本人とコミュニーケーションをとるのがうまい子(A君とする)がいたのも良かった。楽しいことが大好きなF君は、A君と教師の会話の輪に入りたいと思った。そのために、日ごろからA君の話す日本語をよく聞いていて、意味は分かっていないのに、「ああ、こんな場面で、こんな感情の時に使うのか」となんとなく理解していた。状況から学んでいく感じ。
ある時、F君とA君が歩いていた時、ちょうど扉から私が出てきて2人が驚いていた。「ごめんごめん」と言うと、私に何か伝えたそうなF君。笑いながら私が待っていると、F君はA君に小声で何か聞く→「~ベトナム語~“びっくり”~ベトナム語~??」→笑って頷くA君。
そしてようやく準備ができたF君、元気な声で「せんせい、びっくりしました!」。
「びっくり」って普段は瞬時に言うもんだから、あまりに時差がありすぎて可笑しかった。A君もわざわざ聞いてきたことが面白かったようで笑ってる。でも、まさにこれがF君の強み。
日本に来たばかりの頃は「びっくり」って言葉なんか知らなかったけど、友達が使うのを聞いて、「あ!この場面じゃない?!あの言葉(びっくり)を使うのは!」って気付いて、使ったんだなあと思うと、なんか健気で愛おしくなってくる。
そうしているうちに、どんどん話せるようになって、それに伴って授業のやる気も上がり、書く聞くもできるようになった。最初なんて作文の時間に、単文で3行書くのが精いっぱいだったのに、後半は用紙からはみ出すほど書いてきた。
結局最後のテストでF君は89%の正答率だった。まさかここまで取れるとは思ってなかったが、F君の様子を見ていると納得の変化だった。1ヵ月私たち講師陣は、F君からたくさんのことを学んだ。毎日いきいきと楽しそうに学ぶ姿はすごく眩しかった。うらやましいほどだった。
もし話したいことがあるのなら、伝えたいことがあるのなら、きっと人はその言葉を手に入れる。
誰かに何かを伝えたいと思う限り、なんとかしてコミュニケーションをとろうとする。その環境を作ることが私たちに1番求められていることなのだろう。
企業に行ってからは、日本語の勉強への姿勢がきれいに半分に分かれる。日本人とコミュニケーションを取らずただ仕事だけをこなす毎日を送っている子は、ほとんど日本語が話せなくなる。
逆に、会社という新たな環境でまた色々なものに興味を持ち、日本人と話していると、びっくりするくらいスムーズに会話できるようになる。
語るべきことを持つことは、語る言葉を持つよりもずっと初めにあって、それでいてずっと難しいことなのだ。
「勉強させる」これはある意味簡単かもしれない。勉強をしなかったら何かしらのペナルティを与えれば、嫌々でもやる。でも、「学ぶことに興味を持たせる」これはすごく難しい。
ただ、やっぱりそれが1番大事なのだと改めて知った。むしろ講師にできることは興味を持たせることに尽きるのかもしれない。興味さえ持てば、学習者はほっといても走っていく。新たな学びの方へ。とても楽しそうに。