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Portrait of My Loneliness


誰かに愛されないと感じた時、
僕は孤独を覚える。

誰かを愛せないと感じた時、
僕は絶望を覚える。

その二つが、同時に押し寄せた時。
僕は、生き続ける理由を見失ってしまう。

行き場のない愛は、人の内側で鬱屈する。
それは怒りや憎悪となり、喪失と痛みをもたらし、狂気や暴力すら身にまとう。

「期待することを辞めてしまえば、楽になれるのに」と人は言う。
希望を捨ててしまえば、失望することもなくなるはずだと。

愛することを、諦められたなら。
この寂しさも、悲しみも。
姿を消してくれるだろう。

そして僕はきっと、何も感じなくなってしまうだろう。
それは、もはや死んでいるのと同じかもしれない。

今の僕にできるのは、書くことだけだ。

「いつの日か、愛が還ってきますように」と祈りながら。
「僕がこれまで分かち合ってきた愛を、思い出せますように」と。願いを込めながら。


・ ・ ・ ・ ・

 酔いが醒めたのか、僕は唐突に目を覚ます。夢から一気に引き戻されたせいで、確かな感覚を取り戻すまでに時間がかかる。枕元にあったスマートフォンを確認すると夜なのか朝なのかはっきりしない、イライラする数字が表示されている。 

 とりあえず起き上がって、机の上にあった加熱式タバコの電源を入れる。スティックが充分に熱されるまでの間、僕は部屋を満たす冷たい空気の中で震えている。 

 布団の上に座ったままその日最初の煙を体内へ取り込んでいると、もうこれ以上眠れないであろうことに気がつく。
 念のためにもう一度寝転がってみるけれど、頭は冬の冷気のように冴えわたっている。

 僕は諦めて、リビングへ下りていくことにする。 

 まず初めに、僕はテーブルの上で散在している細々とした物たちをすべてなぎ倒す。右腕を伸ばして、クレーン車のように端から端まで一掃していく。
 床に落ちたマグカップが割れて、コーヒーが飛び散る。あらゆる種類の紙が宙を舞う。いくつかのリモコンから電池が飛び出て、その機能が永遠に停止される。

 仕上げにテレビのコードを引き抜いて、開け放った窓から放り投げる。二階の部屋から路上へ投げ捨てられた電化製品の悲鳴が聞こえる。 

 次に、キッチンのコンロで何日も放置されているフライパンを手にとる。焦げた黒いかすや油で汚れたその物体を使って、シンクの中に所狭しと並んだ食器やグラスを僕は叩き割り始める。食べ残しのこびりついた破片が行き交い、勢い余って鍋までへこんでしまう。

 原型がわからなくなるほど木端微塵になった陶器やガラスを、手元にあった中型のゴミ箱ですくい集める。それから、置き去りにされていた孤独な物たちの残骸を窓の外へまき散らす。 

 かつては生活の一部だった用品たちが大粒の雪みたいに空中へ広がる様子を眺めながら、 僕は何も感じない。破壊するという行為の源には、喜びも怒りもない。僕はただ、部屋を綺麗にしたかっただけだ。

 窓を閉めてから自分の部屋へ戻って、絵を描くために必要な用具をかき集める。再びリビングへ下りて、真っ新になったテーブルの上に白いキャンバスを置く。
 足元に散らばっていたガスやら水道やらの請求書を引き裂いて、パレットの代わりにする。ペインティングオイルを切らしていたので、その辺に落ちていたプラスチックのコップを拾ってキャノーラ油を注ぎこむ。ついでに中身を床へ向かってぶちまけながら、僕はテーブルの前の椅子に座る。 

・ ・ ・ ・ ・

 荒廃した、生命というものの兆しすら感じられない世界の果てに、黄色いつなぎを来たピエロが一人で立っている。正面に置かれた鏡の中の彼は、笑っているようにも泣いているようにも見える。心臓があるはずの箇所には穴が空き、その周辺にひびが広がっている。

 立ち尽くすピエロが握りしめた右の拳から、赤黒い血が流れている。左手に持ったタバコの煙が砂埃と同化するように、滴り続ける彼の一部もまた、乾いた地面へ染み込んでいく。 

 彼のまわりにはいくつかの物質が散乱している。解体され、脚を折られた椅子。捻じ曲げられ、目玉の飛び出た赤ん坊のぬいぐるみ。ナイフを突き刺されて横たわる、のっぺらぼうのマネキン。月は火あぶりにされ、何かを痛々しく叫んでいる。その光がピエロの影をつくり 、彼の分身としての闇が太陽を襲っている。 

 いびつな模様を浮かべた夜空の下で、彼は一人、荒野の中心に突っ立っている。誰を愛することもなく、誰に愛されることもなく。孤独が生み出す狂気で、頭を爆発させながら。 

 それでも、残酷なほど正確に地球は回り続ける。誰にも求められないまま、日々だけが積み重なっていく。彼は月を燃やし、太陽を影で覆ってしまおうとする。時間という概念を消し去り、完全な闇に身を預けたいと願う。

 それに飽きたら、この惑星そのものを破壊してしまえばいい。
 巨大なハンマーでマントルを叩き潰し、核の中に溜まったマグマが宇宙の塵になりきるまで。 

・ ・ ・ ・ ・

 僕は絵を描き終えると、タバコに火をつけて屋上へ続く階段を上り始める。火をつけられる空間なら、どこでだって吸えるのだ。雨のように落ちる灰も、空気を汚す有害な煙も僕の知ったことじゃない。 

 金属製の重いドアを開けて外へ出ると、忌々しい朝が嫌気の差す一日の始まりを告げていた。僕はサンダルを履いて、十二月の凍てつく風に吹かれながら屋上を移動する。錆びた梯子を登って、ビルの頂上と呼ぶにふさわしい場所へ辿り着く。

 ちっぽけな囲いにキャンバスを立てかけて、息を吸ったり吐いたりしながらその絵をじっと見つめる。 
 僕は彼を、後ろから思いきり抱き締めてやりたいと思う。骨が折れるくらい強く、時を忘れられるくらい長く、しっかりと抱擁してやりたいと思う。

 そうすることで、彼をこの世界に留めてあげられたなら。現実から離れそうになるその体を、どこへも行かないように繋ぎとめてやる錨になれたなら。 

 僕は頭がおかしくなったのか?—— そんなはずはない。狂っているのはこの世の中のほうだ。誰の心にもあのピエロは存在しているのに、見て見ぬふりをされているだけだ。狂気のない社会こそ、本物の狂気だ。 

 目を背けられ、押し込められた怒りや悲しみが今日もどこかで破裂する。無差別に刃物を振り回したり、電車や家に火を放ったりする彼らは、鏡に映った僕たちの姿にほかならないのではないか? 

 彼らはきっと、独りぼっちだったのだ。誰かを愛そうとしても、その想いを受け止めてもらえなかったのだ。
 誰とも繋がれず、結ばれず、孤独という底無しの闇に溺れながら助けを呼んでいたのだ。
決して音にはならない、激しい怒号を通じて。 

 そんなふうに想像すると、僕はありったけの力で奇声を発したくなる。こみ上げてくる感情や衝動を、そのまま解放してやりたくなる。

 だからこそ僕は、心のままに叫ぶことすら規制された都市を憎む。
 僕は狂ってなんかいない。まともじゃないのはこの、ルールとシステムに支配された行き止まりのほうだ。

 僕はタバコの先端をキャンバスに押しつけて、その絵を祝福する。それから、救いを求めるピエロの背中をそっと抱きしめる。
 僕は涙を流している。抱擁を待っているのは彼ではなく、僕自身なのだ。

 誰かの腕に抱かれることが、どうしてこんなにも難しいのか。受け取られることなどないのに、なぜ愛が浮かんでくるのか。 

 行き場を失った狂気と愛情が、今もどこかで誰かを傷つけている。痛めつけられた心が、罪のない命を奪おうとしている。

・ ・ ・ ・ ・

 幹線道路を走る車の音がする。
 街の向こうから、荒々しいサイレンが聞こえてくる。 

 僕は壊れてしまいそうになる。
 ビルが、今にも崩壊しそうに揺れる。 

 そして、何もかもが崩れ落ちた時。
 さみしげな影だけが、この場所に残る。


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