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自殺した両親は毒親だったのか?

近年、ネグレクト含むDVをする親の俗称が【毒親】として認知されてきています。

中には、過保護で口出しをしすぎて子供の意欲を奪ってしまう親も、そのカテゴリーに入ると、ネットで読みました。

「厳しかったうちの両親はどうだったんだろう?」
そう頭をよぎることがあります。

なぜかというと、私の欝っぽい症状は、21歳の時に母が首吊りをするずっと前、思春期くらいからすでに始まっていたから。

友達にも言えない、親と過ごしていた学生時代の記憶を、ここに吐き出してみようと思います。

親と暮らしていた、学生時代のほうが辛かった

私は18歳で大学中退をし、家出をしています。

子供の頃から口癖のように言われ続けていた、両親からの「お金は空から降ってくるものではないんだよ!!」「自分で金稼いでから言え!!!」という言葉。

なので、自分自身でお金を稼ぐようになってからは、とっても嬉しかった。

お金を自由に使えて、ビクビクすることはない。
開放感から、ブランド物や高級レストランにお金を惜しみなく使うようになりました。

バイトしていた周りも子たちもそうだったから、それが当たり前に感じていました。

ちなみに、ホステスさんや風俗嬢さんではありません。
少し特殊ですが、とても割の良いお給料でした。

バイトを初めてまもなく、マイルドに家を出ました。
すごく楽しくて、実家に帰らない日々が長くなっていってからの、いよいよ帰宅しなくなったパターンです。

どうして、自分で稼げるようになってから家に帰りたくなくなったかと言うと、このような理由が挙げられます。

①両親ともに口うるさい

門限も厳しく、過干渉。

服装なども「紫は娼婦の色だから着るな」、
将来についても「スチュワーデスは空の小間使いだからなるな(幼少期はアイドルなんかも禁止でした。なるのも観るのも禁止です。)」「短大だけは許さない。遊ぶやつが行くところだ」など偏見に満ちた口出しがひどかった。

つき合う友達についても、「あの子の家は離婚してるから」「あそこんちは水商売だからなぁ」など批判が多く、見たくない部分を常に晒されている気持ちでした。

大人の言うことって、子供の胸に刻まれるんですよね。

なってはいけない職業がとても多かったので、夢を抱いたことはありません。
子供の頃から、親の顔色を見て、怒られなさそうな、かつ可愛げのある「パン屋さん」と答えていました。
高校生になってからは、耳障りが良いかもしれないと姑息な理由で「介護士さん」と言ってみたり。

どちらにもたいして興味はありませんでした。
この頃から、人にどう思われそうかで口に出す言葉を無意識に選んでいたのでしょう。


②頻繁に夫婦喧嘩をしている

ふたりとも大きな声で罵倒しあうので、小さい頃はこれがとても怖かった。
大きな怒鳴り声で起きるのです。
部屋から出れず、トイレにも行けなくて、実は小6までおねしょをしていました。

母がヒステリックに、父の親戚がいかに冷たいか、自分をバカにしている態度なのかを叫び続け、父は父で「お前の親戚は酒飲みばかりで根性が悪い!!」などと反論し、

ひどい時には母が父につかみかかっていました。
あまりの大きな音に部屋から出ると、母親が泣きながら父を倒そうとしていて、足元の高さの壁に穴が開きました。

この穴は父も首吊り自殺をして、マンションを売るまで直されることはなく、見る度にあの母のなりふりかまわない泣き叫びシーンが脳裏に浮かぶんですよね。

母が父に押し戻された時にかかとをふんばった時に開いた、こぶし大の穴が何年も哀しくぽっかり残っていました。

③父と相性が合わなかった

昔からどうも折り合いが悪く、小学生の時から嫌でした。
思春期のリアクションだったのか、きちんとした原因だったのか、今でも不明なんです。

どうしても忘れられない嫌な父の記憶が数個。

1つ目は、よく成長期の胸を触られたこと。
冗談だったとは思いますが、「大きくなったのか?」「もうブラジャーしてるのか?」など言いながら触られました。

昭和の出来事なので、今より時代的に【セクハラも冗談なら許されるでしょ】的なムードでした。
お風呂もよく覗きにきました。小学校高学年になってもです。

最初は「親への性的な嫌なことの伝え方がわからない」という理由で無言でいましたが、

あまりにも大きくなってくるとさすがに嫌で、「入浴中ドアを開けないで」と頼んだりしました。

けれど笑ってやめてくれなくて、ある日怒りが爆発した私は、途中でタオルを巻いて風呂から上がり、泣きながら父に平手打ちをしました。

母は味方をしてくれると思っていたのですが、逆に「お父さんに何してるの!!」とキレられました。

いや、夫婦喧嘩めっちゃしてんのに、あんたそこは味方すんのかーい!!

って幼いながらも心でツッコミを入れたのを覚えています。

とにもかくにも母の父への加勢もショックで、自分が悪いの???とどうしても二人への不信感がぬぐえない出来事でした。

母には、「お父さんはプライドが高い人なんだから叩いたらそりゃ怒るに決まってるでしょ」と呆れて言われました。

え?私が悪い・・・?🤔

今、大人になった私は、あのシーンに帰って、泣いている小さい私に味方してあげたいです。
「やっと自分の感情だせたね。偉かったね。あんた悪くないよ」と。

また、父の暴力的な対応におののいたこともありました。
これも小学生中〜高学年くらいの時代だったと思います。

母と買い物中に喧嘩をし、私は一人で家に帰りました。
そうしたら、待ち構えていた父がひどく逆上していて(母から電話があったのでしょうか)、私にブチキレて、足を持って家中を引きずり回し始めたんです。

圧倒的な成人男性の力にびっくりした初めての経験でした。

頭をいたるところにぶつけて、髪がひっかかり、ぶつかる痛さよりも自分では脱出できない力の差に恐怖でした。
あまり大声で泣かない私が、泣き叫んでいたため、帰宅した母が驚き、「子の子は私が見つけられなくて帰っちゃっただけなのに」と父に言い訳(?)していました。

その事件は心にずっしり残り、「いつかこいつがいないところに出ていけるんだ。それまで我慢しなきゃ」といつも思うようになりました。

思い返すと、子供だったから恐怖心が植え付けられたけれど、大人から見たら他愛もない折檻の一つくらいだったかもしれませんね。

うちは一人っ子だったので、「普通の一人っ子のようには甘やかさないからな」という方針が物心ついた時から示されていて、

ダダをこねたり失敗すると暗い押入れか裸足でベランダに出される、お尻を叩かれるのが通例でした。

あと二人からの説教が延々と続くのもしんどかった・・・。

一度も物を買ってと、店でごねたことはありません。
そんなことをしたら地獄なので。
いつも二人の機嫌はどうかな?とビクビクしていました。


④なんなら両親共に相性が合わなかったかも

母は機嫌が良いときにはとても仲良く話し相手になってくれました。父よりは分かち合えることが多かったです。

ただ、私といる時には父の悪口をめっちゃ言うのですが、私を叱る時には父の側について二人で総攻撃をしかけてくるのでキツかった。

私は、母から聴いた悪口により、父のヘイトが募ります。

けれど、母の機嫌により、「あんたも父親と一緒だわ。ほんとにそういう嫌なところばかりそっくり」と叩かれました。

母に心を許して打ち上げた事柄も、そんな時にはネタにされ、父と二人でディスられたり・・・。

でもほとぼりが冷めると、「ごめんね。洗濯物畳んどいたよ」「ベッド温めといたよ」などと優しくしてくれるんです。

なので、つい毎度嬉しくてまた打ちあけ話をしてしまいます。
内緒話まで、父に提供して一緒に馬鹿にされたりなどを繰り返した後、私は「母に心を許さないでおこう」と決意し、

母がひどい仕打ちをしてくることを覚えていられるよう、中学生の時に【母の私への罵詈雑言タイム】をラジカセで録音してみたことがありました。

それを聽き返すと、悔しさを思い出すことができ、母と距離を開けて置く時間を長く保てました。

自己防衛のつもりだったんだと思いますが、毎回母のヒステリックなセリフを聴き返すたび、傷つきました。
当たり前か🤔

思春期からの私の情緒不安定はこういった両親の言動が関係していそうですよね

⑤大学生の時に両親に殴られてアザだらけに

虐待を受けた思い出としてはそんなに残っていないのですが、ある程度年齢が行くと、厳しい親のルールを破り、門限に帰宅しなかったり、お酒を飲んで酔っ払ったりなどするように。

私も反抗を覚えました。叩かれたら叩き返す。

特に、母親には反撃したことが一度あり、「もう勝てる歳になった✊」と悟った瞬間がありました。

後はさっさと逃げて自室のクローゼットに閉じこもり、そのクローゼットをドア前に移動して母の侵入を防いだりなど、やられっぱなしでは終わらなくなり、家のルールも破るようになってきてたんです。

そんな中、両親共に「素行が悪くなった」私を二人で殴りつけたことがありました。

これがテレビドラマとかだったら、父が殴ったら母がかばうとかそういう構図じゃないの?!と二人にもみくちゃにされつつ考えていたのが、いまだ記憶に残っています。

家にいたくないのでそのまま大学に行ったものの、アザだらけの私にみんな腫れ物に触るような態度でした。

一人の男の先輩が、それについてはなんにも言わず、郊外の山際にあるサイクリングロードに連れてってくれました。
他の子も数名いて、ただただ楽しく日常を忘れてアウトドアに勤しんだ一日になりました。

顔がアザだらけなのも、みんなもう忘れて一緒にたくさん笑った素敵な日だったと思い出になっています。

先輩なりの優しさだったんだろうなぁ。
思えば、下心なしでめっちゃ後輩として男前に可愛がってくれた人でした。

私はほんとに友達に恵まれていますね。

そんなこんなが積み重なり、徐々に私は実家より楽しい大学やバイト先などの外の世界に魅了され、帰宅しない日が多くなっていったんです。











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