しあわせくるくる
くるくるくるくる
しあわせくーるくる
くーるくるくーるくる
しあわせくるくーる
…
とおりのいい女性の声と子どもの子どもらしい声。
これ以上ない超長調。
その底抜けに明るくあからさまな感じが嘘くさいなぁと思う。
思うんだけれど、こっちが真っ直ぐな気持ちで聴くと、途端にきらめく。
私はこの感じがすごく好きだ。
この曲を聴くためにイズミヤに行っちゃうくらい好きだ。
なんで好きなんだろうか。
じんわり郷愁が滲み出すからだ。
郷愁っていうのは、美が懐かしさを纏ったものだと思う。だから初めて見た景色に郷愁を感じられる。
春、昼間に公園のベンチで遠くに見える柔らかい陽(ひかり)
夏、河川敷の堤防を自転車で行くときにそびえる入道雲
秋、夕暮れに田んぼの畦道から見るススキの後姿
冬、つめたい潮風を受けながら座って眺める朝の海
これらの景色が自分の人生に大きな変化をもたらしたり、意味を与えたことはない。
イズミヤだってそうだ。イズミヤが私に何かをしてくれたことはない。
全員ニッコニコでワッハッハと入店する家族なんて見たことない。
むしろ、パンコーナーでヤンキーがイタズラしてたり、よく来てるからって気が大きくなったご老人がやっちゃいけないことをしてたり、と変なことばかり覚えている。
なので、本当は何の感情もないはずだ。
だけれど、あたたかさがある。
泉から水がこんこんと湧き立つようにとめどなく溢れ身体全体に染み渡るあたたかさがある。
このあたたかさは、宇宙から地球を見たときにも感じるだろう。
ということは、私はもう宇宙旅行したも同然だ。心がどこまでも自由なら宇宙にだって行けちゃうのである。
そして、それは宇宙がどこにでも隠れているということでもある。本当にしあわせくるくるなのだ。
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