むにみずべ 和歌山編01 四国へ渡る南海フェリー
瀬戸大橋ができたって、しまなみ海道ができたって、やはり四国の旅は船で行きたい。そんな夢の玄関口は和歌山から始まります。
これ知っていますか?
生き残っていた鉄道連絡船
まだまだ橋梁技術が未発達だった時代、全国を繋ぐ鉄道網で活躍したのは鉄道連絡船でした。
特に本州と北海道(青函航路)・四国(宇高航路)・九州(関森航路)を結ぶ航路では、車両ごと船に積み込む鉄道車両航送を行っていました。
時代は下り、長大橋も海底トンネルも技術的に可能になると、鉄道連絡船は次々と廃止。
ですが。乗りたいですよね、鉄道連絡船。
そんなロマンを求める皆さんに朗報です。実はまだ残っていました。
日本中にあった連絡船も、今では実質3つが残るのみ。宮島航路、富山県営渡船、そして本州と四国を結ぶこの南海フェリーです。
本州と四国は、既に瀬戸大橋、しまなみ街道、そして明石海峡大橋と大鳴門橋、3つも陸路で繋がりながら、今でも和歌山と徳島は結ばれています。そして和歌山港には、遠く大阪は難波から、南海鉄道が乗り入れているのです。
とくしま好きっぷ
鉄道ごと船に乗ることはない今では、コンテナに潜り込まない限り、鉄道連絡船の真骨頂を体験することはできませんが、連絡船だからこその仕掛けがあります。とくしま好きっぷです。
このきっぷを使った南海フェリーで行くと、なんと難波から和歌山港駅までの鉄道運賃を含め徳島港まで2500円。こんな破格のフェリーなかなかありません。
ちなみにこの切符は、南海鉄道のどの駅からでも使えますので、高野山駅も使えます。
そうこの高野山と四国、あるお坊さんによる海を超えた深い深い関係があります。
中国のお坊さんも驚いた空海の修行
今から1200年前、一人の天才お坊さんがいました。空海です。
時は奈良時代末期。
道鏡というお坊さんが、太政大臣という世俗権力の最高峰に上り詰め、後にも先にも日本史上唯一の「法王」に就任。さらには様々な手で天皇にさえなろうとした(と言われる)、空前の大事件が起きるほど、仏教が政治に入り込んでいました。
いやこれは流石にちょっと、、ということで、桓武天皇は遷都を決意。長岡京を経て、全日本人が覚えている唯一の年号、794年に平安京へ移ります。
この時仏教も、政治に入りすぎた奈良仏教(南都六宗)に代わり、遣唐使だった最澄と空海が中国の唐から持ち帰った、天台宗(比叡山)と真言宗(高野山)が、急速に力を持つことになります。
元々そこら辺の一坊主だった空海。しかし四国中の山や霊場で修行を積み、さらに中国語の堪能さから、遣唐使に抜擢。
中国で師事した著名なお坊さん、恵果は、
え、こいつは只者ではない、もう仕上がってる…
といち早く察知し、すぐさま奥義を伝授。わずか数ヶ月後に生涯を閉じる寸前の、晩年の弟子の一人となりました。
この度肝を抜いた修行の一環こそ、いまに伝わる四国八十八ヶ所という訳です。
四国八十八ヶ所の前と後
あまりにも有名な八十八ヶ所巡り。
実はその最初と最後、0番と89番だと言われている場所が、四国外にあります。
0番は空海に度肝を抜かれた恵果和尚がいた中国西安にある青龍寺。そして89番こそ、空海の立てた、和歌山県は高野山金剛峯寺奥之院です。
せっかく八十八ヶ所巡った総仕上げは、金剛峯寺で行いたいものです。
そう、この徳島と和歌山を繋ぐ航路は、中国の高僧をも驚愕させる修行のラストを飾る大切な航路です。
夜明け前、始動
では乗っていきましょう。
ちなみに。とくしま好きっぷとか、鉄道駅直結とか言っておきながら、今回乗った5:30発の便は南海鉄道の始発前で接続なし。
しかも空海とか、八十八ヶ所の総仕上げとか言いつつ、旅程的には和歌山発徳島行ということで逆方向。
まぁ往々にして全て上手くいくことはない訳ですが、気にせず眠い目を擦り上げ、深夜に呼んだタクシーで向かうは、夜明け前の和歌山港です。
ターミナルから市内までは路線バスが接続、d払いも出来ちゃう今ドキバスです。
いよいよ四国到達。やはり電車や車よりも、積もり重なった歴史のロマンや旅情を感じるのは船ですね。
それだけじゃ持続できませんが、まずは好きっぷきっかけにでも、利用が増えることを祈っています。
以上、南海フェリーでした。朝焼け最高です。