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【9日目】アタマとココロは「ケンカ」する(ニンゲンのトリセツ・改)

◆ココロはどんな「形」なのか

 大事なことなので何度でも復習しますが、モトというものを通して観察すると、僕たちニンゲンというものは

【三つのパーツ】の集合体

であり、すなわち

  • カラダ

  • ココロ

  • アタマ

の三つが「ウィーン、ガチャーン!」と合体してできているものなのです。これが『モトの話』で扱う「ニンゲン」というものの本当の姿だ、というわけです。
 僕のとなえるココロの材料『モト』という概念がないと、こうもはっきりとニンゲンが【三つのパーツ】の集合体だとは、なかなか言い切れないのではないかと思っています。そもそも「ココロ」と「アタマ」は「物理的な観察ができない」ものですから、無理もありません。ですがココロというものが「モトの集まり」という『実体』のあるものだとすると、この「ココロ」「アタマ」は完全な別物だとはっきり言い切れます。

 ついでだからこういう話も……このように「ココロ」に『実体』があるのだとしたら、どんな『形』だと思いますか? 
 こう聞かれたら、たいていの方は「胸のあたりになんか丸い、もしくはハートの形をした小さなものがあって、それがココロだ」なんて想像していらっしゃるんではないかと思います。
 ところがどっこい……ココロが「モトの集まり」であるとするなら、ココロというものは
「カラダより大きく、周囲にはみ出している煙のような形」
でないとつじつまが合わない、ということが言えてしまいます。
 ……びっくりした人も多いと思うので、もう一度書きますよ。ココロというものは

  • カラダより大きく、カラダの周囲をおおっているモトの『煙』のような形

です。みなさんの想像とは大きく異なると思うのですが、ココロというものはなんと「カラダよりずっと大きい」んです。カラダからはみ出してモヤモヤしているから、注目したものに「飛ばし」たり、周囲の人と「やりとり」したりできるんです。
 ちなみに、ときどきスピリチュアルの世界に「体の周りにオーラが見える」という特別な能力をお持ちの方がいらっしゃいますが、その方が見えているものは実は「その人のココロそのもの」ではないか、というのが『モトの話』から考えた「オーラ」というものの正体です。そういう意味では「オーラ」のない人はいないということになります(オーラの質や量、勢いといったものはあるだろうと考えられます、モトには個数がありますから)。


◆アタマとココロのケンカ

 ここまで語ってきたように、僕たちがこれまで一緒くたにして「心」や「精神」と呼んできた「感情」と「思考」は、それぞれ別のパーツがもたらす別々のものだ、というのが『モトの話』の基本です。

  • ココロ → 感情の発生源

  • アタマ → 思考の発生源

 これらが「別のもの」だと理解できると、自分の中で起こっている「複雑な気持ち」や「複雑な事情」が本当はどういうものなのかも、はっきりとアタマで理解できるようになります。
 特に、僕が

【アタマとココロのケンカ】

と呼んでいる現象は、『モト』という考え方で照らすとこれまたあっという間に答えが出ます。

 【アタマとココロのケンカ】というのは、文字通り自分の中で「アタマ」と「ココロ」が違うことをやりたがって、ケンカしている状態を指します。
 たとえばこんなこと……
 とても大好きなお菓子。友達同士の集まりで、大皿に盛り付けられたそのお菓子が、あと一つ、余っている……食べたい……。でも、最後の一つを食べてしまうと、なんだか気まずい……。どうしよう。
 こういう「揺れる気持ち」、いわゆる「葛藤(かっとう)」というのは誰でも経験するものですし、割としょっちゅう起こるものです。

 こういう”とまどい”というのは、実は

  • ココロ → 食べて【好き嫌いゲージ】をアゲたい

  • アタマ → 気まずい状況を避けたい

というふうに「ココロ」と「アタマ」がそれぞれ『別の結論』を出してしまうから起こる現象なんです。
 【好き嫌いゲージ】のときにもお話しましたが、ココロは常に「モトの量を増やす」ことだけを根拠に、カラダを動かす「感情」を出してきます。ですから「好きなものを食べたら満足する=モトが増える」という『根拠』でもって「食べたい」という「気持ち」を出してくるわけです。
 他方、「アタマ」は【好き嫌いゲージ】のことなんか全く気にしていません。アタマとしては、周囲の状況を視覚や聴覚で把握し、自分が一番有利になれるよう「考えて」います。ですから「周りに遠慮したほうがいいのではないか」という「考え」が出てくるわけです。
 このように

  • ココロ → 【好き嫌いゲージ】をアゲる(=モトを増やす)

  • アタマ → 周りの状況を観察して、有利か不利か判断する

ということを行った結果、それぞれが

  • 違う結論

を出してくることがあります。こういう状態のことを

【アタマとココロのケンカ】

と呼んでいます。僕たちが何かに迷っているとき、そしてもっと深く「葛藤」しているときというのは、必ずこの【アタマとココロのケンカ】が自分の中で起こっているときなのです。


◆「ストレス」という現象の正体とは

 先ほどのお菓子の例はとても可愛いらしい【アタマとココロのケンカ】でしたが、実際の生活で起こるこの【ケンカ】はもっともっとドロドロしているものです。
 たとえばこんなとき……道ですれ違った人と、肩が「ドン」とぶつかりました。けっこう痛かったのですが、相手は知らんぷりして立ち去ろうとしています。
 こういうとき、たいていの方は「イラッ」とするはずです。これはモトの観点からは、カラダへの不意の「攻撃」に「注目」して「モトが減った」ことにより、【好き嫌いゲージ】がキュッと『嫌い』側へ低下したために出てきた「怒り」の感情がこの「イラッと感」の正体だ、となります。
 こういうときに、この「イラッと感」(=気持ち)にまかせて相手に殴りかかる人は、あまりいないのではないかと思うのです。なぜかというとその「気持ち」が出てきたときに
「他人を殴ることは、社会的に良くないことだ」
という「考え」も、同時に出てくるからです。このとき

  • ムカつくやつを殴り倒したい気持ち

  • 人をむやみに殴るのはよくないという考え

が自分の中で【ケンカ】している、ということになります。

 これはまあ極端な例ですが、こんなふうに「気持ちと考えが違う」ことは、日常生活の場面で毎日、何度も何度も起こるものです。

  • 疲れているけど、残っている仕事をやらなきゃ

  • のどが渇いてるけど、いまお茶を飲むのは失礼だ

  • 遊びに行きたいけど、お金が足りないな

  • 嫌な上司だけど、飲み会に付き合わないと

……などなど。そしてそのたびに

・ストレス

といわれるイヤな気持ちを感じるものです。

 ストレスとは、何かを我慢し続けることによって起こるイヤな気分のことで、ストレスがたまるとイライラしがちになったり、怒りっぽくなったり、逆に気力がなくなってぐったりしがちになったりします。
 『モトの話』という観点からは、このストレスは「慢性的な【好き嫌いゲージ】の低下(半分以下)」を意味していて、常時「モトが増やしたい」と思っているココロの出した結論である「感情」「気持ち」を、アタマが出してきた「考え」で抑制し続けた結果起こる『モト不足』の状態を指します。 
 そしてストレス解消法といえば「スッキリすることをする」、いわゆるレクリエーションが代表的ですが、これはモトの動きを考えると「ココロの感じたとおり行動することで『モト』を増やす行動を取る」、という意味に取れます。

 これらをまとめると、ストレスというのは【アタマとココロのケンカ】で

アタマが勝利し続けている状態

である、という定義ができます。ですから、たまにはココロにも「意識的に」勝たせてあげよう、というのが「ストレス解消」というものである、という話になるわけですね。

 ところがです。今まで僕たちは「アタマ」「ココロ」という明確な区分を知らなかったわけです。ですから、特に長く”社会人”をやっていると

・人生とは自分の「考え」にそって作り上げていくものだ
・だから、ココロの気分に従っていてはだめだ
・それに、カラダに少し無理をさせてでも「考えたこと」を成し遂げないといけないものだ

といった「考え方」になりがちなものです。
 『モトの話』ではこういう「考え方」を

【大いなる勘違い】

と呼んでいます。そう……これは【勘違い】なんです。次回はこの【大いなる勘違い】のくわしい解説をします。


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日南本倶生(みゅんひはうぜん)
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)