嫌な気分のまま行動する
嫌な気分になることを毛嫌いすると、嫌な気分に翻弄されやすくなる。なるべく嫌な気分にならないように工夫しながらも、嫌な気分になることもあると受け容れて、嫌な気分と共存していけばいい。
そもそも嫌な気分とは何か。不安、恐れ、怒り、悲しみ、不満、自己嫌悪のように出来れば味わいたくないと思ってしまう感情のことだ。長年、嫌な気分のメカニズム、嫌な気分への対応のしかたをあれこれ調べ、ずっと考察してきた。その結果、分かったことは次の4つだ。
1 嫌な気分の原因は前提となる思考にある
嫌な気分を生み出すのは、〇〇はダメ、〇〇すべきではない、〇〇しなければならない、という判断思考(ジャッジ)だ。例えば、お金を稼げないとダメ、人の悪口を言うべきではない、バズるnote記事を書けなければならない、などなど。自分の中にこのようなジャッジがあるからこそ、お金を稼いでいないことに不安になったり、人から悪口を言われると怒りや悲しみを感じたり、noteにスキがつかないと落ち込んだりする。
2 前提となる思考を変えれば嫌な気分は消える
お金を稼げなくてもいい、批判する人もいていい、note記事がスキされなくても大した問題ではないという思考になれれば、嫌な気分は消える。でも、前提となる判断思考(ジャッジ)は決して自分特有の思考ではなく、常識的な思考のことが多い。多くの人が賛同し、多くの人が当たり前だと思っているから、その思考は常識的に固定化している。だからこれを固定観念という。「固定観念=前提となる思考」が嫌な気分を生み出している。実はその逆もしかり。お金を稼ぐ人は凄いという固定観念によって、お金を稼げた時にいい気分になる。
3 思考を変えられない時だってある
固定観念がなくなると嫌な気分は消えると言っても、さすがに多くの人に指示され、常識的に固定化された思考である。固定観念にはそれなりに説得力があるのである。「だって実際、お金を稼げなきゃだめじゃん」、「人の悪口はいけないことでしょ」、「自分の記事やツイートがバズった方がいいに決まってるよ」と思えてしまう。
悟りを開いたブッダのように、すべての固定観念を無くせればいいかもしれないが、われわれ凡人にはなかなか難しい(いや、難しいと決めつけることこそ固定観念だ。固定観念は無くせる!と反論する人は素晴らしい。ブッダになれる。自由自在に自分の感情を操ることができる人だ)。
4 嫌な気分が消えないならそのまま共存して行動する
ということで、ブッダ的な例外的存在を一応考慮外におくと、嫌な気分が完全になくなることはないと受け容れるしかない。人生には、あってはいけないけど避けられないことがある。その最たるものは死だ。何も悪いことをしてなくても、どんなに神様に死にたくないと祈っても、死ぬべき時は死ぬ。絶対認められない、絶対に受け入れられないと泣き叫んでも、死は容赦なく訪れ、回避する術がない。
だから僕らは死を受け入れて生きるしかない。同じように、嫌な気分になることが避けられないのだとすれば(どうしても避けたい人はブッダになろう)、覚悟を決めて、嫌な気分になることを受け容れよう。
嫌な気分になるのはしかたない。嫌な気分を何とかする必要もない。嫌な気分になるのは当然なのだ。出来事に固定観念をあてはめれば自動的に感情が生まれる。出来事が固定観念に照らして悪であれば、嫌な感情が生まれる。嫌な気分を何とかしなければなんて思わなくていい。嫌な気分を感じた自分にグッジョブと言って、それはそのまま置いておいて自分の行動をしよう。
最後に、僕は今さりげなく「自分の行動をしよう」と書いた。
嫌な気分があっても、行動は出来るからだ。
他人に行動させるのは難しいが、自分の行動は自分だけで今すぐできる。
そして、行動をするとその行動に意識が向けられる。
行動に意識が向くと、嫌な気分に振り向けられる意識がその分減る。
こうして、行動は嫌な気分を減少させるのである。
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