碑に寄り道すると日常もまた、旅になる
石碑、句碑、歌碑、記念碑。
意識すれば、町には様々な碑があることに気がつきます。
その碑からは、
刻まれた人の思い、刻んだ人の思い、
建立した人や町の思いなど、
様々な人間模様を感じることができるのです。
きっかけは句碑巡りの旅
以前、自由律俳句の代表的な俳人、種田山頭火(たねださんとうか)の生地を巡る旅をしました。
その時、町のあちこちに山頭火の句碑があることを知り、句碑を探し、巡るに連れ、いつしか句碑を探すことがメインの旅となっていきました。
その時の記事はこちら↓
句碑を見つけ案内板を読み写真に収めることで、山頭火や山頭火を愛する方々の想いを集めるスタンプラリーに参加しているような楽しさを感じました。
それからというもの、出張や旅、ちょっと遠出した時には、その町にある石碑(歌碑、句碑、詩碑、記念碑)を探すようになりました。
今まで出会った石碑たちを少しご紹介させてもらいますね!
一緒に寄り道しましょ!
山口県周南市
詩人・まどみちお
山口県周南市は「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」でおなじみの詩人、まど・みちおが生まれた場所で、その生家跡は今は町の自治会館になっていました。
さすがにもう面影はないでしょうけど、まどさんはこの街で9歳まで過ごされたそうですよ。
さらに、徳山駅近くのぴーえっち通りには、台座に詩が刻まれたぞうさんの像の詩碑がありましたよ。
ボタンを押すとぞうさんの鼻から水が出るような作りだったのですが、水は出ませんでした。昔は出ていたのでしょうか。
まどさん、大好きなんですよ。
この時は周南市美術館で、まどさんが描いた絵を見られて幸せでした。
東京編
①東京都中央区日本橋/宝井其角
東京で見つけた、其角の住居跡。
宝井其角(たからいきかく)は江戸時代を生きた人で、松尾芭蕉の弟子の中でも優秀といわれていた俳人です。
酒好きで豪胆な其角には粋なエピソードがあるんですが、長くなりそうなので、それはまた別の機会に(笑)。ひとまず其角の句を一句拝借。
東京駅のすぐ近く、今は高いビルがたくさん並んだ都会の一角。石碑には案内板も特になかったのですが、芭蕉や其角がほんとにいたんだ!と思わせてくれる重要な証拠として、存在感のある石碑でした。
②東京都北区/JR板橋駅付近
夕方、出張の帰り道に板橋駅で降り、供養塔へ向かいます。話はそれますが、東京って電車賃が安いですね!驚きました!!
JR板橋駅の北口から小さいロータリーを越えた先に、新選組隊士の供養塔がありました。
新選組って京都の人達じゃない?って思われる方もいるかもしれませんが、局長の近藤勇は東京都調布市の生まれ。武士になるという夢のため、28歳の時に京都で壬生浪士組となり活躍し「新選組」の名を拝命、時代の波にのまれていくのでありました。
新撰組としての活躍を認められ、念願の本物の武士となったのですが、幕府vs新政府軍の戦争の状況が悪化、京都から江戸へ敗走します。そして隊を結成して5年後の33歳の時、この東京板橋の地で、敵対する新政府軍に捕縛され、処刑されました。
③東京都葛飾区柴又/柴又駅付近
柴又。一度は行ってみたかった町。泊まっていたホテルから乗り換えせずに電車で行けると分かり(けっきょく迷って他の駅から歩きましたが…笑)、寄り道してきました。
とらさーん。
柴又帝釈天の参道付近には、山田洋次監督の直筆の有名な寅さんの口上が書かれた記念碑がありました。
寅さんのTシャツと公式の帽子を買い(笑)、柴又を散策しました。最高でした。
大分県由布市/湯平温泉
大分県の湯布院町湯平にある湯平(ゆのひら)温泉。
ここに、自由律俳句・種田山頭火の句碑がありました。
旅の途中に2日ほど湯平温泉に滞在した山頭火は、
”しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ”と定形の句を残しています。
日記からも、湯平の熱くて豊かな湯が”身心に利きそうな気がする”と上機嫌な様子が読み取れます。
鹿児島県/桜島
鹿児島県のシンボル、桜島。今も噴火を繰り返す活火山です。
鹿児島市から桜島に渡るフェリーは、1時間に1〜3本ほど運航されており、なんと夜の9時から朝の5時までの時間も1時間に1本運航しているらしいです!!真夜中の海を渡ってみたいです!!
鹿児島市から桜島へフェリーで渡ったすぐ目の前の場所に月読(つきよみ)神社があります。
その境内を奥へと進むと、
高浜虚子(たかはまきょし)の句碑がありました。
刻まれている句は
”熔岩に秋風の吹きわたりけり”
●こちらの句碑は朗読してみました↓
桜島のラーメンが美味しかった
営業してる?って不安になるような、めっっちゃ入りにくい入り口!!
店主のおじちゃんが毎朝、山で採ってくる湧き水で作ったこだわりのラーメン。
店内に南極の石がありました!
そして地元(福岡)へ
旅は終わる。
終わるから旅といえるのでしょう。
でも旅をすることは終わらない。
ひと区切り付いたら、
また旅に出たくなるのですから。
地元での日常。
またどっか行きたいな、なんて思ってきた頃。
同じメンツのおんなじ集まり。
集合と解散によく使う今泉公園。
公園の形が三角形だからか、みんな三角公園って呼んでる公園。
そんな何百回と待ち合わせた三角公園で、また待ち合わせ。
先に着いて適当な場所に座る。
と、
あれ??なんこれ?
こんなんあったっけ(笑)!?
こがねむし…が…眠っている?
いつも見てる場所なのにまったく気が付かなかった!!
●調べてみた
この句碑の左上にいる方は吉岡禅寺洞(よしおかぜんじどう)という方でした。
なんとこの方、桜島(鹿児島)で見た熔岩の碑の作者、高浜虚子と繋がりがあり、というか虚子に句を選ばれたり、虚子を福岡に招いたりしているような凄い方でした!!
しかも最初は5・7・5の季語のある句(有季定型)を作っていたんですが、次第に口語・無季の俳句、つまり自由律の俳句を詠むようになっていったようです。
山口県や大分県で句碑を巡った種田山頭火は、吉岡禅寺洞より7歳くらい年上なので、同世代の俳人としての交流があったかもしれませんね!
交流がなくても、きっと俳句雑誌でお互いの名前を認識していたことでしょう。
ちなみにこちらの碑には、
”こがねむしが眠っている雲たちはパントマイム”
の句が刻まれています。
句碑を巡ったことで、日常の中で眠っていた新しい素敵な発見をすることが出来ました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!