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隠岐・海士町。「ないものはない」島のゆたかな時間

島に来た。

本土からフェリーで三時間。船酔い防止に寝そべった二等船室の床は硬くて、ゴゴゴというエンジンの振動が尾てい骨を伝って身体中に響く。今日は海がしけらしく、揺れる。フェルトを固めたみたいなグレーのカーペットに、汚れを気にする暇もなく転がって時間が過ぎるのを待っていた。

民謡のような音で起こされると、やっと菱浦港のアナウンスが流れている。船着場は、木でできた可愛らしい建物だった。どうやらここは観光案内所や土産屋、地元の食材売り場まで揃った施設らしい。

私が訪れたのは、海士町という隠岐の小さな島。船着場に貼られたポスターには、おおきく「ないものはない」と書いてあり、その潔さに心を掴まれた。

旅好きはこのコピーが特に好きだろうなと思う。観光地より、自分なりの面白さを見つけるのが好きな人たちは、日常と異なる世界に放り込まれることすらご褒美だから。

ホテルは、奮発して気になっていたEnto に二泊。ここはジオパークの展示や、二十四時間楽しめるライブラリーがあるのだとか。泊まれる図書館(部屋からは一面の海)である。

ラウンジスペースのソファーは一様に窓の外を向いている。それもそのはず、海と島の景色の中に人はおらず、自分と自然だけかのような空間に思える。

この宿のコンセプトのひとつには「地球にぽつん」というものがあるそうだ。地球に自分しかいないかのような感覚を、たしかに島にいる間に幾度か感じた。それは決してネガティブな感情ではなくて、ああ、自分も地球のなかの生き物なんだなあ、とあらためて「わかる」ような感じ。

日曜日の夜から泊まったからか、宿泊客も多くはなかった。宿を拠点に仕事をして、それ以外はゆったりすごすと決めていたから、宿の中でも誰にも会わず、波音しか聞こえない時間が何度もあった。

ここに来るまでジオパークというものを知らなかった私だが、その意味を体感する貴重な経験だった。ジオパークとは、ユネスコが認定している、地球活動で生まれた地形や景観が守られ、教育や持続可能な開発に使われている場所だという。自然だけを指すのではなく、大地の上に生態系があり、さらに人間の生活が共存している、そのすべて丸ごと含めたものだそうだ。

火山の噴火によってできた島だという海士町も、その大地の上に生き物が住み、人が暮らしている。地形だとか自然だとかに詳しくなくても、私たちが地球のいとなみの一部なのだと感じられる場所なのだ。ちなみに、このあと二億五千万年後には、また地球の大陸はひとつにまとまっていくらしい。そんなことも、宿の展示室で学ぶことができる。

晴れていたから散歩に出る。空が広くて、それだけでその場所を独り占めしているかのような気持ちになる。東京じゃ、ビルの間の隙間の空を、何百人でわけっこしているのに。

湖かのように静かな海を眺めていると、いまが何曜日だったかもわからなくなる。何曜日でもない気すらする。自分のこころが、ゆっくり開いているのを感じる。

道の脇のミラーに、島が映る。島の車は飛ばすからね、と言っていた誰かの言葉どおり、すごい勢いで軽自動車が横を抜けていった。

隠岐は、後鳥羽上皇がいた島だよ。中学生ぶりに聞いた言葉が十五年ぶりに脳内の教科書のページをめくり出したが、何をした人かは隠岐神社の本でわかった。

鎌倉幕府と戦って、負けたから島流しになった。北条とか後醍醐天皇とか、久しぶりに聞く言葉のオンパレードに、思わず笑いが込み上げてくる。承久の乱は、私が小学生の時に通っていた塾の試験で、わからない空欄があればとりあえず書いていた名前だったから。

故郷を思って優れた和歌をたくさん残し、ここに眠っている後鳥羽院。地元のひとたちから大切にされ、今も親しまれているのだろうと想像ができた。

島の天気は変わりやすい。雲の影が山の木々にくっきりうつり、こちらに迫ってくるのが見える。あっと思う間にばらばらと雨粒が落ちてきて、傘を開いた。その間にも雲がみるみる流されていくのが見えて、数分したら日が差していた。

振り返ると、大きな虹がかかっている。むかし、虹の足もとを目指すこどもの話があったけれど、今なら本当に虹のはじまりを触れそうな気がした。そのくらい、大きくくっきりと虹を見た。

夕方、天気は変わりやすく、残念ながら夕陽を見ることはできなかった。じわじわと暗くなっていく海を見ながら、自分が東京にいるときのような焦りや不安を感じていないことに気づく。

これから、どうなるんだろう。私が常に考えている数年後、あるいは自分の子供の未来ですら飛び越して、二億五千万年先には、地球はぜんぜん違う星になっているらしいよ。教科書の上の後鳥羽上皇は、ここで故郷を想ったらしいよ。それは、あまりにも永い時間の旅だ。

いいひとり旅をすると、それが次のひとり旅の始まりになる。島中にある海士町図書館の分館は宿の中にもあって、そこでみつけた本が私を好奇心の旅へも誘うのだ。

旅がいつまでも終わらない。それはつまり、わかわくする気持ちが燃え続けているということ。なんて豊かで幸福な悩みだろう。

海士町での時間は、私に新しい旅を試させてくれた。仕事をしながらの旅でも、こんなに心や体の凝りがほぐれて、柔軟になれるのだとわかったのだ。あえて日常と切り離さずに仕事をして良かったのかもしれないと思えた。

島から見る広い空を、旅から帰った日常でもお守りにしていたい。



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mayu
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