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道玄坂を登り、きっと彼を思い出す

道玄坂を登って気分は渋谷の隅っこまでたどり着いたと思えるその場所に、私の好きな場所があります。

好きな場所と言っても、たった一度しか行けたことのない場所。ネットで見つけてからずっと行きたくて、2年越しにやっと訪れた時がとてつもなく幸せだったカフェ。また行きたいと思って行けていないけれど、落ち着いたら今度はお酒でも飲みながらゆっくりと過ごしたいと思っている場所でもあります。

本当は、一緒にゆっくり過ごしたい人がいました。また一緒に行こうねと約束したけれど、私が彼と会うことはもうないんでしょう。その場所は秘密基地のようで、彼との初めてのデートの思い出を詰め込んだそこへ行くことができずにいるんです。


昔からたくさんの友達を作ることを犠牲にして、本に囲まれてきた人生でした。私の中では読書とひとりぼっちの記憶は小学生の頃から強く結びついています。だからおとなになっても、本を読むのが好きと周囲に言うのを少しためらうことがありました。

そんな私が本を通して仲良くなれた人だったから、私はきっと油断していました。自分の記憶の狭くて暗いところが急に照らされて、認めてもらえたんです。一緒にカフェを訪れた人は、読書が好きだと言った人でした。

そしてそれは恋に臆病な私が久しぶりに好きだなと思った人でもありました。その人が読書をしている姿を時折気付かれないように見ながら、急いでまた本に目を落とす時間の時の流れが、意識しすぎてとてつもなく長いような、それでいて一瞬ですぎていったのを覚えています。



そのカフェでは、物語にでてくる料理が食べられるということでした。だいすきな小説の中とこちらの世界がつながるようで、メニューを見ながらしばらく考え込んでしまいました。

ぐりとぐらのカステラ。誰もが一度は憧れて、大きな大きなカステラを食べたいと夢見るあれです。今でもぐりとぐらのお話を読むと、読み終わったらなにかふわふわのあたたかいお菓子はないかとキッチンをうろうろしてしまいます。

アレックス・シアラーのチョコレートケーキ。ぐりとぐらほど有名ではないけれど、あの友達のいなかった小学生時代に小学校の図書館にあった本を片っ端からあさって読んだ作家さんでした。児童書にしては分厚く辞書くらいはあるその重さと、チョコレートの甘さを思い出させる表紙の茶色を今でも覚えています。

そしてきらきらひかるのチーズトースト。本当は甘いものが食べたい気分だったのだけれど、江國香織が好きだと言うからにはこれを食べなくてはいけないと思いました。だって私がいつもはっとさせられる言葉をくれるのは、江國さんの小説の中の女性たちなんです。そんな彼女たちが優雅に過ごす場面の1ピースに入れてもらえるようで、それはもはやちいさな興奮でもありました。

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大きなトーストを頬張りながら目の前の彼を見つめます。目を伏せると私より長いまつ毛。いい匂いのする髪の毛。この場所の静けさと彼の落ち着いた様子はよくあっていて、私は口元が緩むことを抑えずにはいられませんでした。


こんな本好きそう。そう言った私に彼の見せた驚いた顔が好きでした。お酒が好きといった時に見せた顔も驚いていたな。眉毛を上げて、一瞬時間が止まったように私のことを見つめてくるのです。私は彼を新鮮な世界に引っ張り出したかったのかもしれません。いつも予想外の女の子でありたかった。

彼は絵を描いていたことがあると言いました。好きだと言ったのではなく、真似て描けばできないことがないというのです。運動もそうでした。彼は自分でコツを押さえて、上手くなっていったようでした。実際に彼が鍛えている体が私は好きだったし、中学時代のバスケ部では先輩を差し置いてエースになったと言います。そんな昔の話はよく知らないけれど、徹底的に理屈っぽいところが彼らしいと思いました。自分にできることは他人にもできると思っていること、できない人を努力不足だと思っているところが、彼らしく私には少し痛々しくもありました。

その時彼に貸そうとしたのは誰の本だったかな。住野よるさんだったかな。もうよく思い出せません。でも、鞄を持つことを嫌った彼には結局本は受け取ってもらえませんでしたが。その本が自分のように見えて、自分の表面が少しだけ欠けた気がしました。

本を読むことは誰かと私とを近づけてくれるようで、結局は私の輪郭を浮かび上がらせていくようでした。今度は物語で誰かと繋がろうとなんて思わない。彼の弱さを知った気になって先回りして受け止めていたけれど、それは私の中の物語でしかなかったな。

いつかあのブックカフェに行くことができたら、またエッセイにしよう。願わくば、あの時よりも目の前の誰かを理解できたらいいのに。あの時よりも、自然に笑えたらいいのに。一緒にいる誰かのほうが、私の姿をそっと見守ってくれたらいいのに。そして、その時に残す文章が優しいものでありますように。




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mayu
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