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21歳彼氏なし。手も繋いだことのない私が自分を嫌いになるのをやめられた恋愛のはなし
21歳のとき、自分のことを嫌いになるのは簡単だった。
何もかもが嫌だったわけじゃない。ただ、自分自身を認められない理由は分かっていたし、分かっていてもどうにもならないことに心底疲れていた。
普通に大学に通って、バイトもサークルもこなす日々。人並みに化粧をして授業に出て、コミュニケーションもとれるはず。
でもなんで。
なぜ、だれも私を特別だと選んでくれないのだろう。
それが私のおなかの奥底いっぱいに溜まる膿だった。
誰かに好きだと言われたことがない。
大切に触れられたことがない。
一緒にいる友人には次々と彼氏ができるのに。
自分には価値がないと、埋まらない空白が証明しているみたい。
恋愛なんて、そんな些細なことと思っただろうか。
そう思ったあなたは強い。自分で自分を肯定できて、きっと周りにあなたを認めてくれる人もいるのだろう。いなくてもそう言えるならなお強い。羨ましいほどに。
そう言われてあなたがもし、いや、そういうこと言われても私だって、と決めつけられることに違和感を感じたら。さっき私が理解しようとせずに、褒めて適当に距離を置いたことにもやもやしたら。
その理解されないもやもや、孤独、理不尽さを20年分詰め込んだら、私の当時のどろどろになると思ってほしい。
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だれかの「特別」に選ばれない理由はいくらでも見つかった。
一重だから。太っているから。早口だから。面白い話ができないから。甘え下手だから。お母さんぽいから。優等生だから。自立してるから。
あの子みたいに、可愛くないから。
雑誌やSNSで見るような人並みの努力をしてみても、ダメなんだな。人に嫌がられる趣味があるわけでも、個性的なファッションなわけでもなかった。
親以外に自分のことをかわいいと言ってくれる人がいない事実は、ゆっくりと私を削っていった。
恋愛なんてたいしたことじゃないよ。
いい人がいつか絶対現れるよ。
むしろ彼氏いるように見える。
言われ続けたセリフに対して、どれほどの愛想笑いをしただろう。無邪気な他人が優しく投げかける言葉は、私にとって鋭いナイフだった。
たいしたことじゃない、それは世の中からみたら本当かもしれない。私自身も恋愛ができた結果、その意見にも賛成できる。
でも、そんなちっぽけなことすら出来ないのは、自分がダメだからでしょう。劣っているんでしょう。当時はそう思った。
些細だと他人が片付けるからこそ、より自分が惨めだったのだ。
だって私は、恋愛でこそ選んで欲しかった。
勉強を突き詰めて高校を首席で卒業しても、部活で人望を認められて部長になっても満たされなかった。
何かを持っている私でしか、認めてもらえない気がしていたのだ。
「僕が君のことが好きだから、君はそのままでもいい」
他人にそう言われたかった。
みんなに好かれるより、ずっと誰かの一番になってみたかった。
そして私の自己肯定感を押し下げたのは、交流関係の広さでもあった。
友達がいなきゃ、彼氏がいない言い訳もできる。でも私はいくつものサークル、バイトに所属して、サシ飲みができる男友達もいた。
環境のせいじゃなくて私自身に問題があるんだ。
今思うと、可哀想なほど自分を追い詰めていたと思う。追い詰めすぎて、「自分らしく振る舞う」なんてこともできなかった。
本当にコンプレックスを抱えていると、冗談でも人に言えないとそのとき知った。
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コンプレックスまみれの私の転機は、ニュージーランド留学だった。
留学先にいた日本人より英語ができなかった私は、今までの優等生ポジションから、ただの人見知りになった。
自分でメニューを決めることもできない。教室がわからない。寮の食堂のルールがわからない。
でも人を頼ることに慣れていないから、自分でできないことが、恥ずかしくて言えない。
そんな時に、周りの人たちは喜んで手を貸してくれた。
日本での私を知らない人たちに囲まれて、なぜか年下にいじられもしながら気づいたのだ。
私が役に立たなくても、私を受け入れてくれる人はたくさんいるのだと。
そして好きな人もできた。
現地人の彼とは、どんなに長くても半年で離ればなれになる。始まるときには終わりも見える恋で、付き合うこともなく両想いになった相手だった。
彼の下心もわかっていて、それでも私は嬉しかった。このまま海外に住んでしまいたいと思えるほど好きな人。初めてにしては、甘さも苦しさも十分すぎるほど味わった。
寝起きのむくみきった顔、ぼさぼさの髪でも可愛いよ笑いかけてくれる人。
太っているでしょう、と恐々聞いてみたときには、驚いたようにそんなことないよと言ってくれた。それは私の魅力の一つだと。
あるときには、お母さんっぽいと言われなくなったことにも気づいた。彼といるときの私は、ちゃんと女の子なのだと嬉しかった。
顔がアイドルみたいじゃないとか、体型がモデルみたいじゃないとか、真面目だとか、そういうのは関係なかったんだ。
ゆっくりとコンプレックスが溶かされていくのがわかった。もちろん一気にぜんぶ消えたわけではないけれど。
それからも一重やダイエットには悩まされたし、かわいい女の子を見ては落ち込むこともあった。
でも、私のことを受け入れてくれるひとがどこかにいた。私も他人に可愛いと言ってもらえる存在だったのだという事実が、私をあたため続けてくれた。
みんなから認められる自分になろうと必死だった自分。
でも、追い詰めなくても、万人に受けなくても、私の等身大を魅力的だと思ってくれる大切な人はいるとわかった。
不思議なことに、誰かの一番になった記憶が、次の恋愛にも自信をくれた。悩みは尽きないけれど、だから自分に価値がないっていうわけじゃないんだと、思えるようになっていた。
自分で自分の世界を縮めなくてもいい。
殻を作らなくていい。
私のままでいい。
海外で恋愛をして、私がやまほど教えてもらったことたちだ。
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だからこそ私は文章を書き続ける。
容姿やコミュニティでのポジションや、自分が本当には理解されないことに悩む人はきっといる。
でも、持っていないもので戦わなくていい。持っている「あなたらしいこと」にもきっと価値があるのだと伝えたい。
ふくよかな人が朗らかな笑顔を削ぎ落とす必要はないし、スレンダーな人が大きな胸をつける必要はない。
地黒の人が美白に囚われなくていいし、恋愛経験の少なさに焦って好きでもない人に初めてを捧げなくていい。
もうすでにメイクやらファッションやら人間関係やらに、たいていの人は自分なりの試行錯誤をしてきたんだから。
自分が学生時代に苦しかったからこそ、こいつは器用じゃないのになんだかんだ幸せそうだと思ってもらえたら嬉しい。
だからこれからも等身大を書き続ける。
21歳の私を救うために。そして、きっと誰かの眠れない夜にも寄り添えると信じて。
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