今日も画面越しにご機嫌な声でいる
テレワークのZ世代とはまさに私ことだ。
ふうせんさん、どう、会社。そんなふうに恐る恐る声をかけてくれていた部署のおじさんたちを、二年目になるともう会社で見かけることもない。見かけたとて、普段画面に貼り付いている証明写真とは違いすぎてわからないだろう。八年前から写真変えてないよ〜と言われて、あはは、それじゃあ会った時にお互いわからないかもしれませんねなんて話していて、それは冗談じゃなく本当だった。
かくいう私も、滅多に人前に姿を現さない。入社してから月に一度ほどしか出社をしていない私の生活は、自室ではじまり自室で閉じる。誰とも合わないまま週末を迎えることは、二年目にしてすっかり珍しいことではなくなった。少し運動しないとな、と思うのは毎日のことだ。
リモートワークと聞くと、私の親は面接のようにみんなの顔が見える画面を想像するらしい。確かにそれが、リモートワークの序盤ではよく行われていたのかもしれない。でも、私の部署では誰もビデオなんかオンにしていない。画面に映った証明写真が、会話に合わせて少し光るだけだ。そうじゃなきゃマイクのアイコンに斜めの線が横切って、なんの音もしないのだ。大抵は誰かが映したパワポの資料か、黒い画面だけが並んでいる。
「お〜疲れさまで〜す!」そんなふうに上司がふわふわした声音で登場すると、安心する。いつもと変わらない証明写真が、少し笑顔に見える。語尾には音符がついてるんじゃないか、とそんな日もある。
けれども、「…お疲れ様です」の日もある。ぼそっと、会議のメンバーが集まるまでマイクもしばらくミュートのまま。そういう日は雑談もなしに足早に進むのだが、いろんな疑問がひとりの私に積もっていく。
今日は体調が悪いんだろうか。
何か嫌なことがあったんだろうか。
ただ朝に弱いだけか。
それとも私なんかやらかしたっけ。
考えすぎかなと思っても、証明写真はそれ以上のことは教えてくれない。人間だから波はあるよね、私もあるし、と思いながら、あんまり刺激しないようにと淡々と進める。比較的オープンで怖いこともない今の上司ですらそうなのだ。リモート世代の新人ちゃんの普段の機嫌など、誰も知らない。
だから声だけは軽やかにしておくようにした。無理に楽しさを取り繕わなくていい。不機嫌じゃないよとわかる軽やかさだけでいい。だって顔も姿も見えない職場で、不機嫌な人の称号を受けるのはまだ早いだろう。口角を上げて話すだけで、見えない相手の見えない不安をなくせるのなら安いものではないか。
特に第一声。自分でも一言目が軽く踏み出せたら、その打ち合わせは大丈夫だって気がする。
さて今日も、証明写真に似合わない明るい声で始めてみるとしよう。