切なさと苦しさこそ恋なんだって思ってた。

ご飯がぐっと胸に詰まるような、ほんの少しの苦しさを恋というのだと思っていた。

離れていればその人のことばかり考えて目の前の仕事が手につかなくなったり、時折声に出してああ、と言ってみたり。逆に一緒にいれば簡単に好きなんて言えなくなって、必要以上に前髪が気になったり、言わなくてもいいことを話しすぎたり。

躓かないように、相手に可愛いと思われるように、そればかり気にしていたような気がする。でも、それくらい私でいっぱいになってほしかった。少しでも好きだと言ってもらえたら彼女になれなくても満たされた。誰かを選ぶことをしない男の子が、ふたりきりの時に呼ぶ私の名前。彼らが自分の腕の中で甘えているときだけは私も認めてもらえたような気がした。苦しさや切なさが、影のようにいつも幸せな時間の後を追っていた。

人よりも太っているし、一重の顔はぱっとしないし、誰かに頼るのが苦手な私はとことん恋愛に自信がなくて、だからうまくいかない言い訳ができる恋ばかりしていた。国をまたいだ遠距離恋愛や、誰とも付き合う気がないなんていう遊び人。だめなところに寛容な私はそういう相手からは好かれたけれど、私はいつも喪失の気配を感じていて、終わりの時計を聞いていた。

ある日そんな私を見かねた幼馴染が、しつこいほどにマッチングアプリを勧めてきた。「もう!もっと自分を大事にしなよ。そんな男には任せておけない!もっといい男を探せって!」親しくない相手なら一蹴していた執拗とも言える勧誘だったが、男性にいいイメージのなかった彼女自身が恋人を見つけたアプリだったことや、お互いのことを知り尽くした上で私を心配していることがわかっていたから登録してみた。その日も好きでもない人からの言葉にやけ酒をした夜だったことも大きかったと思う。「登録した。」とだけ送ったラインには、うさぎが笑顔で飛び跳ねているスタンプが返ってきた。

アプリで知らない人と会うことに抵抗があったわけではない。昔もっと邪な理由で使っていたこともあるし、女性が望めば男性にすぐ会えることはわかっていた。でも、チャットが苦手で、恋愛は相手のバックグラウンドを知っている信頼できる人とがいいと思っていた私は、懐疑的でしかなかった。

遊び人、マルチ、既婚者。わんさかいる目的外の人間をかき分けて運命を見つけるタイムリミットは2ヶ月。その期間だけは本気で仕事だと思って取り組もうと自分で期限を決めて、その間は半ばタスクのようにこなした。

何度でもスワイプし、何度でもマッチングし、何度でもはじめましてと言う繰り返し。おいおい、私は本気で大事にしたい人を見つけに来たんだぞと、自分にムチを打ってチャットを返した。幸いと言っていいものか、遊んだ経験があるから遊び人がわかる。こんなことを言っては殿方に失礼だが、外見はぱっとしないし写真での笑顔もぎこちないけれど、プロフィールが真面目に書いてあってバイクとサングラスと日焼けと自撮りに縁がなさそうな人ばかり選んでみた。気乗りはしないが本命の打率は高い。それが私の今回の戦略だった。

今私は、アプリで初めてご飯に行った男性とお付き合いしている。その人以外にも会ったけれど、今の彼だけは最初に会ったときから昔からの友達みたいな空気だった。東京には来たばかりの、163センチのひとつ年下の男の子。正直恋愛じゃなくて友達なんじゃないかと思ったけれど、生まれてはじめてまっすぐ目を見て告白してくれた人だった。好きだから付き合ってほしいと彼が私を見たときの、赤く潤んだ一生懸命な瞳にぐっと来てしまった。もう相手から押されないなら会わないかもしれないなと思っていた3回目のデートの帰り道だった。

私の恋愛事情にずっとやきもきしていた友人たちは、たくさんおめでとうと言ってくれた。おめでとう!どう?好き?どんな人?そんなふうにみんなが怒涛のキラキラ笑顔を向けてくれるのに、当の本人はあまりピンとこなかった。おめでとうなのかな?よくわかんない。まだ好きかもわからないの。好きって言ってくれたのが嬉しかったのと、自然体でいられる相手だと思うな。

だって、ずっと好きだった人が振り向いてくれる、恋人になろうかって言ってくれる、そういう恋人同士を想像していたから。そんな恋を、何年も夢見てきたから。今まで恋が実った経験のない私には何もかもしっくりこなかった。

もう、付き合ってから半年以上が過ぎた。始まったときより彼を好きだし、付き合う前より彼は私を大切にしてくれる気がする。私が渋谷を一周エスコートしたデートは何だったのかと思うくらい、今は私がやりたいと言ったことを覚えていてくれるし調べてもくれる。話したいことがあったらいつでも電話してねと言ってくれる、けれども私を拘束しない彼との生活に、私はぷかぷかと浮き輪で浮かんでいるように思える。それくらい彼からの愛情は、わたしを日向に連れて行ってくれる。

別に好きじゃないんじゃないかと、実は今までに何度もそう思った。好かれているという状態が心地良いだけで、彼がいた日々が夢のように消えても私はそんなものかと思えるんじゃないかって。「初めて会った日からまゆちゃんと付き合いたいって思ったんだよ」そう彼が抱きしめてくれるのが好きで、報われない恋に疲れたからとまり木のように寄りかかっているだけじゃないかって。

「大好き。」そう言いすぎて、抱きしめすぎて、それが日常に溶けてゆく幸福を受け止めきれていなかった。「恋って、胸が締め付けられるものでしょう?」昔の自分が、たくさん問うて来る夜にはこわくなる。「恋には、あの切なさがあるはずだよ。いつか相手がつかめなくなるような、あの不安が。」思い出の影が、まだ私にはたくさんついてきて、彼がくれる安心を恋じゃないと言う。

でも私、ちゃんと好きだと思うけどな。彼と一緒に歩く未来を描くとほかほかして、目覚めて私より体温の高い人が健やかな寝息をたてているのを聞くと落ち着いて、一緒にいると何度でも抱きついてしまう。それは確かに、相手を渇望していた今までの恋とは違う。ちゃんと仕事も手につくし、その人がいなくても楽しい時間を過ごせるし、苦しくて焦がれる夜はない。でも、友達が恋人の話をした時、街でカップルを見た時、美味しいものを食べた時、最初に思い浮かぶのは君になった。この心がほぐれる愛おしさもくすぐったさも、きっと恋なんだ。

24歳になって、初めて知った。苦しいだけが恋じゃない。苦しさで気持ちの総量を図るのをやめた私は、日なたぼっこをするみたいに心地よいまどろみの中にいる。なにより、相手に求められる私だけじゃなくて、自分をまるごと好きでいられている。この唐突に始まった恋のおかげだった。私はきっとおとなになったし、彼がたくさん愛情をくれるから今がある。

半年間でも、人は変わる。グラグラの氷の上で焦がれていた私が、今では日差しの中でゆったりと日々の流れを愛せること。これは大切にしたい私の恋のお話。




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mayu
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