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大勢のパーティーは苦手なわたしが、コミュニティの大忘年会で感じたこと
人見知りではない。なんなら、社交的だと思う。けれども私のねっこの部分は、大勢の人がいる場所では緊張して、ひとりになって輪の外からうすら笑いを浮かべるしかなかった学生時代を、しっかりと覚えている。
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小学校時代は、友だちがほとんどいなかった。人見知りなくせにプライドは高くて、小学生のくせにドッチボールも一輪車も嫌いだったから、いつも教室の隅っこで本を読んでいた。
今ならインキャと揶揄されるかもしれない。でもそんな言葉などなくても、友だちとの接し方は、すぐにわからなくなった。
外遊びだけじゃなく、漫画やアニメにも詳しくなく、流行りのテレビも見ない私は、さらに学区外から通っていて地元も異なり、おとなしい子供が友達を作るための話題を、全て失っていた。
結局2年生から6年生まで、学校ではずっと敬語で話していた。そんなだから同級生からも、苗字にさんづけで呼ばれ続けた。
当然のようにめちゃくちゃ浮いていたのだが、妙な圧があったのか、周りが優しかったからか、いじめられなかったのだけは奇跡だと思う。
中学校、高校で運動部に入って、私の世界は劇的に広がった。人見知りで根暗で友達との接し方を知らなかった私でも、女子校の友人たちは優しかった。そして、どんな人間にも似たタイプの人間が見つかる、魑魅魍魎の中高一貫校だったことも幸いした。
そこでたくさんのリーダーをさせてもらったし、訳あって初心者なのにバレー部の部長までしたから、人前でしゃべることにも慣れたと思う。
けれども大学生になって、やっぱり私は、友達作りが苦手だったと思い知る。
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自分の弱さを、やっぱり知られたくなかったからだと思う。ミスをいじられたり、コンプレックスに触れられたりするのが、とんでもなく苦手だった。へへへ〜もういじらないでくださいよ〜とか、先輩厳しいっすよ〜とか軽やかに言える能力はなかった。
ただ固まって、押し黙ってしまう。ノリのいい人たちの集まりには呼ばれなくなって、自分でもそういう空気が怖くて逃げるようにバイトを入れた。もちろん仲良しの友人たちは他にもたくさんいたけれど、大学生らしいサークルの集団に馴染めないことで、やっぱり自分は根っこが暗いんだよなと落ち込んだ。
真面目でも、うまくやる子はいるのに。面白いって、別にギャグができるってことじゃないし、今思えば私が避けた場で求められていたのは「あけすけだけど自然体な会話」だったんだと思う。
でも私は、初めて女子校を抜け出して男性に囲まれた社交界初心者だったのだ。自分が可愛いともてはやされるような人間じゃないってことを認識しても、ちょっとでもよく見せようと思ってしまって止められなかった。自然体なんていうのも難しかった。
会話の主導権を握る人が、優しい会話をする人だとは限らない。ズバッとつっこまれることもあるし、それが悪口じゃなくても、ヘラヘラ笑って流せなくなる自分が怯えている。
そしてたいてい、場を盛り上げる人っていうのは、頭の回転が早くて切れ味が鋭い(と私は思う。)だから中途半端な怯えやコンプレックスは気づかれて、いつの間に自分が隠したい部分に光を当てられることもある。学生って、若くて残酷だった。
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めちゃくちゃ人見知りだし、コミュ障じゃん。ここまで読んだ人は、そう思ったかもしれない。私も、自分の根っこはそのままだと思う。
でも、私は、初対面の人とも旅行に行けるし、はじめましてでも一対一でも自己開示をためらわない。マッチングアプリでほとんどの男性との会話を回してきたし、会社でも喋れなくなっちゃって困るということもない。なんなら他部署の飲み会に誘われても、二次会のカラオケでひとりで歌えるくらいである。
それは、学生時代からさらに時間を経て、私が経験したきたたくさんのことに由来している。コミュニティーに入ったり、留学してたくさんの初めましてをしたり、ひとりで旅に出たり。20代になって、私はたくさんの扉を全力で開けてきた。
だから、今回のコミュニティーの忘年会も、予定が空いているのだけ確認していくことを決めた。ライティングスクールも運営していたそのコミュニティーは、旅や仕事、それから地方創生なんかを考えるいろんなコースがあって、長いものだと今年は8期生の代になるという。つまり、会ったこともない人が大半なのだ。
誰がくるかも知らないし、何人いるのかも知らないけど、まあなんとかなるやろ、と思った。実際にちょっと早めに会場に着くと知り合いは運営にしかおらず、気を遣った別の運営の人が、席の場所わかりますか〜?誰か知り合いは来ますか〜?などと声をかけてくれる始末だった。
130人の中で、知り合いは20人程度。そして会場に着いた時には、他のグループは賑わっているのに私は知り合いがいない。そんなの、以前の自分では考えられなかっただろう。そわそわして、とりあえずトイレにでも逃げて「やることがあります風」を装ったかもしれない。
でも、なんとかなるものだ。自分が世界の中心と思わなければいいし、堂々と、弱さもある自分を隠さずに相手の目を見て話せればいいだけなのだ。
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いつから私は、こんなに強くなったんだろう。最初は、必死に強がっているだけだった気がする。こういう場所に来て知り合いがいなければ、体がこわばる。
けれども今は、本心から、誰が来ても誰もこなくても、まあなんとかなるだろうと思えるようになった。知り合いの知り合いくらいを捕まえれば、終始会話に入れずに終わることもないだろうと。
自分がひとりでいる恥ずかしさが、別になくなったからかもしれない。そんなことを思っていたら、徐々に同期だったメンバーが集まってきたのが見えたので一緒に飲ませてもらうことにした。
1年に1度も連絡を取り合うことのない人だけれど、旅人ばかりが集まっているし、年齢的にはお姉さんお兄さんが多いこともあり、みんなオープンに話してくれる。誰が仲がいいとか、そういうのはあんまり関係なく、その場でみんなの話を聞こうよっていう、謎の安心感がある。
私は別にこのコミュニティーの信者ではない。でも、その時々で、日常を変えるきっかけやエネルギーを求めた人が集まっているから、形を変えながら卒業後も生き続ける長いコミュニティーになっているのかもしれない。
そしてもし、こういう大勢の場が苦手でも勇気を出して参加したという昔の私のような人がいるのなら、一人にならなかったな、大丈夫だったなと思えるための存在になれたらなあなんてことも、おせっかいながら思った忘年会だった。
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