あるいはバーの、記憶の断片かもしれない#読書感想文
『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』林伸次
※感想文です。ネタバレを含みますので、読みたい方はぜひ先に作品を読んでみてください。
絵巻物のようなお話だな。バーからの帰り道、ふんわりとキャンドルの甘い香りが漂うページをめくり、不思議な重量の物語を読み進めながらそう思った。
2回読んだあとも、まだそんな感覚がある。むしろ、この感じが強くなっている気がする。その本の中には、ぜひとも友達になりたい風や、読んでみたい本、食べてみたい王様の料理がある。けれども閉じ込められた世界はそこから飛びててくることはなく、キャンドル一つで照らせる範囲で続いていた。だから、本の中だけで、私たちは小さな旅をいくつも繰り返すのだ。春に見る短い夢かと錯覚した。
世の中には、フルスクリーンで端から端までびっしりと色が塗ってあって、細かい書き込みもされている、そんなエンタメも多いと思う。たしかに推理小説でディテールがなかったら、それはもはやクイズだし、4Kいっぱいに映った画像には余白が許されない。一方でこのお話は、その色の塗り方や、ページのめくり方、物語の始まりから終わりまでが、4Kアニメーション的ではない。私は絵巻物のようだと思ったし、それはきっと言葉の間にも余白があって、もしも小さな世界を一歩出たなら、足跡を残せる白い紙がまだ続いていると感じたから。
どうやら作者の林さん曰く、好みの分かれるお話だという。その理由は、ファンタジーなのはもちろんあるかもしれないけれど、委ねられるやわらかな部分の量に、人によって好みがあるのではないかと思った。普段の読みものとは少し違う感触だったのも、たぶん描かれている世界の粒度のちがい。自分の中の想像力に余裕がある部分と、お話が言葉で語りきらない部分が、調和したときにだけ生まれる小さなキラキラを、ゆっくり集めるように味わう本だった。私はこれを、愛おしい想像の世界だなと思う。
お話の内容を、一つだけ。「他人の人生は決められない」で描かれるのは、20歳の時にそれからの人生すべてを決めなくてはいけない国。自分の思い通りに人生が進むって、どんな感じなんだろう。普通ならなれないものになれるかもしれないし、すごいことを成し遂げられるかもしれない。ほんの少しだけ、そんなふうに思う自分がいた。だって、完璧な人生プランを描いたら、それが約束されるんでしょう?
けれども、隣にいる人の人生を知ることも、未来の話をすることもできないのだ。他者をコントロールできないのは現実世界と同じだし、それ以上に他者との関わりを経て自分の行動を変えることができないことって、なんてこわいのだろう。自分への選択肢すら、20歳の時にすべて奪われている。選んだということはもう選べないのだという寂しさと、今の自分の未来は不確定であることの希望がじんわり湧いてくるお話だった。
その世界の、あるいは登場人物の全てを知ることができないことが、この本の前提だ。そして、それはバーという場所に似ているのではないかと思う。現実味を帯びたものたち(穴の空いた靴下だったり、ゴムの伸び切ったパンツだったり、冷蔵庫の中の賞味期限切れの豆乳だったりするかもしれない)は、キャンドルが柔らかく空気を揺らす場所では出会いづらい。
全てを説明されない閉じた世界で、その温度や味をたしかめ、しばしの間は喧騒の日常から切り離される。横の席の男女の会話の切れ端や、音とワインをお供に談笑した記憶の断片が、レモンの香りの中で小説になったら、きっとこんな物語になると思うのだ。
だから全ての物語に陶酔できなくても、それはきっと今の私が入れた世界なんだって受け止めればいいんだと思う。しかも、やさしい温度のファンタジーなのに、住みたい国は一つもなかった。それは、やさしさや選択が時に残酷であることが、それぞれの国のみじかい物語で十分すぎるほどわかってしまったからかもしれない。そんなところも、不思議なお話なのだ。
とびきり香りのいいレモネード、それか白ワインをお供にもう一度読み直してみようかな。