過去世と恋と私②
続き》
②別のある2人の人は、前世、私が川で幼い末の子を亡くしたと言った。1600年から1800年くらいの話で、いくつも前の過去世のことらしい。
その末の子が今の彼で、私はそのときの喪失感と無力さ後悔とやり切れなさをまだ抱えている、と。
その子は甘えん坊で手のかかるやんちゃな子どもだったらしい。私が手を繋いで引き留めようとしても、言うことを聞かず、振り払って泣きじゃくり、終いには目を離した隙に川に落ちてしまったそうだ。
危なっかしくて、だからこそずっと愛して目をかけていた子だったから、悔いて、悔いて、まだ引き摺っているらしい。(この話を聞いた後に出てきた、その周辺の感情を昇華させるためにいくつか仄暗い詩を書いてnoteに載せてます……笑)
過去世における未消化の感情ゆえに私は彼のことが気になってしまうし、彼の掴みきれなさというか自由人でふらっとすぐにどこかに行ってしまうことに心許なさを感じるのだと言われた。
これに関しては、正直、始めはピンと来なかった。でも、彼のことをもう好きなのに恋愛にしてしまうことへの謎の抵抗感や違和感、好きなのに恋だと割り切れない何かが私の中に確かにあることもまた事実だった。好きだけど付き合いたいわけではない。でも彼の人生をこれからも見守りたい、関係を今後も維持するためには付き合わなければいけないという矛盾した思い込み。
私の中で私の性格的に、彼のことをどうしても友達として見れないことは確定していて、それゆえコミュニケーション不足が慢性化している。仮にその時点で付き合ったとしても先は見えない上に、そもそも付き合いたい訳でもない。
自分の好意を恋愛感情として認めることへの抵抗感は、
昔親子だったから、子に手を出すタブーを感じていると言われた。
話を聞いた後付けかもしれないので、なんとも判断しにくいが、彼に対して手からスルッと掴み損ねるような印象、みんなと話していてもヌルッといなくなる、というようなことを私は以前から感じていてそれを周りにも漏らしたことがある。その掴みきれなさは私だけが感じているわけでもなさそうで、おそらく彼自身の性質としてあるものなのだと思う。それが前世の彼との共通項なのか、はたまた偶然なのかは判断しかねる。
いずれにしても、そういった彼の性質が、彼に恋をしてしまった私にとって拭いきれぬ不安要素であり、えも言えぬ寂しさや一抹の焦燥感を抱いてしまうことの一因ではある。
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私は前世という概念に対して特に明確な思想をもっておらず、あるかもしれないし、ないかもしれないと思っている。まあ前世で恋人だったなどと言われてしまったので、ふーんなんかロマンチックじゃん、前世あったら良いな〜♡来世も愛してるで♡と思う節も多少はある。
そういった俗物的な思考を除いても、私の感覚として、どうしても、前世で𓏸𓏸だったという表現でしか言い表せないなにかが、確実に私のなかにあるとも思っている。
前世の有無もしくは真偽が如何というのはさておき、
今世の、今のわたしが持っている感覚や感情のなかに、いまのわたしの顕在意識以外からくるものだと感じてしまう何かが確かにあって、それを言葉にして対外に伝える手段として、前世(という仮定があるとしたときに)こうであった(のだろう、だからいま無意識に𓏸𓏸と感じてしまうのは仕方のないことだ)という表現の引用が一番近いのだと思う。
とどのつまり私はなんか自分の意識ではコントロールできない領域で彼に恋をしてしまって、だいぶ苦しみ、そしてそれは今回に限ったことでは無いため、多分また知らぬうちにうっかり次の恋にも落ちてしまうのだろうな、と思っている。南無三✋🏻( ˘ω˘ 👌🏻)