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【小説】ホテル・カリフォルニア#2
第2話:愛し合うために必要なこと
私には父がいない。といっても、死に別れたとか、よその女に寝取られたとか、そんな壮絶な過去があるわけではない。単に両親が離婚したのだ。世の離婚の多くがそうであるように、母が父に愛想を尽かした。ただそれだけのこと。
「あの人と別れようと思う」
母にそう告げられたのは、私がちょうどあなたと付き合い始めたころである。電話でだった。ふだんあまり実家に連絡をいれなければ、帰省することもほとんどない私は、母が三年前から父を「あの人」と呼んでいることをこのときようやく知った。
私が記憶している限り、父と母はいちども喧嘩をしたことがなかった。そもそも会話自体がほとんどなかったのだ。夫婦水入らずで出かけるなんてこともなかったように思う。週末になると母はパッチワークキルトの教室に行き、父はリビングでひたすらビールの缶を開け続けていた。兄はバスケットボール部の活動があったし、私も友人と出かけることが多かった。私が兄より先に帰宅すると、夕日が差しこむリビングにいつも父と母が二人きりだった。酔っ払ってソファで寝ている父を、母は動物園のカンガルーを見るような目でじっと見つめていた。
母はパッチワークキルトにそうとう入れこんでいた。近所で開かれるバザーに出店するだけでは飽き足らず、ちょっとしたコンテストで受賞することさえあった。母が最初の賞を取ったとき、家族でささやかながらお祝いのパーティを開いたのだが、次の目標を聞かれた母は、「二つ目の賞を取ることです」とひとむかしまえの力士みたいにストイックな答えを返した。
どうしてキルトにそこまでの情熱を注ぐのか、母に訊いてみたことがある。
「刺繍をしているあいだは誰とも話をせずにすむ」
母はとても安らかな表情とともに言った。兄と私が家を出て行ってからの両親は、あまりよく知らない。
母から離婚を告げられたとき、言葉がすぐに出てこなかった。別に驚いたわけでも、悲しんでいたわけでもない。過去の夫婦関係を考えれば、両親が離婚することについてなんら不自然さも意外性も感じなかった。私の胸のなかには、まるでカレンダーにあらかじめ書かれていた予定を再確認するかのような抑制ぎみの興奮のみがあった。
いっぽうで、話すべき言葉が頭のなかのどこを探しても見つからなかった。あなたの気持ちがわかると言うには私はまだ若すぎたし、お願いだから別れないでと泣きつくには自立しすぎていた。もう少し考えたら、という答えは論外として。
だからしばらく考えを巡らせたのち、ごくごくありきたりな質問を投げかけてみた。
「どうして離婚するの?」
母はすぐに答えた。
「離婚しない理由がないから」
母に新しい恋人ができたのはその半年後だった。
男と女とは、死ぬ直前までくっついたり離れたりを繰り返す生き物なのだということを私は母から学んだ。新しい恋人を紹介され、私が好意的な反応を示したとき、母は言った。
「たった一人の人を愛し、その人に愛され続けて生きていくにはそうとうな忍耐強さがいるのよ」
「それってどれくらい?」
「人生二回分。あるいは無限。それ以上かも」
その一ヶ月後、母は恋人と別れ、コンテストで四つ目の賞を取った。白と薄い青を基調にした、雪の結晶みたいな幾何学模様を何重にもかさねた、見ているだけでめまいがしそうな作品だった。
私はずっと、母の言葉の意味がわからずにいた。理由があって結婚したのに、理由がないから離婚するのはどういうことだろうと。けれど、あなたと二年付き合ったいまなら、その意味が嫌というほどわかる。
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