好きな時間
自分を深く見据えて、自分も知らない自分を知ろうと、理解しようとする時間が好き。
ふとした疑問や頭に浮かんだ考えから、1人で頭の中で議論して、一旦の結論が出てスッキリして終わることもあれば、
モヤモヤして家族や友達に意見を求めることもあるし、
考えていたこと自体、いつの間にか忘れてしまうこともある。
でも、そんな時間が好き。
小さい頃は、ぼーっとしている時間なんて生産性がなくて勿体無いと思っていたけれど、今はそうやって自分と、静かな私の中で向かい合っている時間が、私を形作る大切なひとときだと思っている。
人のことはわからない。
でも、自分のことが、もっとわからない。
ふわふわして、輪郭も曖昧な自分を、この世界に繋ぎ止めておくために、私という人間のほんの一部分だけでも、薄い薄いペールトーンのグレーを、グレイリッシュトーンくらいまで濃くするような、そんな作業をする。
そうして前より少しだけはっきりした自分をみて、また考え、日々を過ごしていく。
そういう時間を大切に思っているし、それを理解し、共に大切にしてくれる友人と意見を交わす時間もまた、とても豊かな時間だと思っている。
近況を語り合ったり、さっき頼んだケーキの美味しさにニコニコしたり、時には恋の話をしたり、そんなたわいもない会話の中で、突然議論が始まる。
LINE上でも突然議題が降ってくる。
もちろん全ての友達に対してそうではないが、そう、『語り合える友達』と話しているときは、突然議論が始まる。議論を始めても良いと思える相手であり、お互い楽しめるから成り立っているのだと思う。そういった相手と出会えたことは恵まれたことだと思っているし、感謝している。
その場で何かしらの着地点が見つかることもあるし、新たな疑問が浮かぶこともあるし、
そこにいない他の友達に急に意見を投げかけることもある(これで驚きもせず反応を返してくれる友がすごい)。
そしてその議題は突如湧いたたわいもない疑問のこともあるし、昔からゆるゆると考え続けていたことを心の引き出しから引っ張り出してくることもある。
長い時間をかけて話しているものもある。
生活と環境と状況の変化に伴って価値観が変わるような話は特に。
SNSで興味深い投稿を見つけたり、ニュースを見たり、時には本や論文を資料として引っ張ってきたり。
あくまで雑談の中の、お互いの小さな疑問から始まる議論だし、誰もそういう職についているわけでもないけれど、所謂参考文献のように、見つけた瞬間共有する。
最近は簡易的な議事録も取るようになり、LINEのアルバムにはしっかりおさめられている。
そんな時間が、好き。
1人で考える時間も好き。
でも、考えを私以外の角度から掘り下げていける、知的好奇心がが生まれて、満たされ続けるその時間は、もっと好き。
誰も答えが出なくて、疑問のままそっと引き出しにしまわれるような時もあるけれど、それはそれで笑っちゃうし楽しい。
誰かが忘れても、誰かがそれを覚えているから、数ヶ月、数年単位で急に解決することもある。
そんな時間を、そんなやり取りを、ずっとしていける人でありたい。
そういう大人になりたい。
今いる大切な友人達はもちろん、そんな時間を共有できる人が、この広い世界でまた1人、また1人と増えていったら、もっと私の目に映る世界は豊かになるんだろうなと思う。
そうやって、生きていきたい。