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書評:柴崎友香『あらゆることは今起こる』(シリーズ ケアをひらく)についての走り書的覚え書
※2024年10月5日にAmazonへ投稿したレヴューから転載。
私自身、コンサータを処方してもらった経験があります。なので、ADHDやASDについての経験を具体的に述べている前半部分には、共感するエピソードは多く、面白く読めました。ただ、その後のいくつかの内容に違和感をもち、読み進めることができなくなりました。本文から2つ引用します。
p.109「他人は自分と感覚が違う。世界を認識する仕方が違う。自分は自分しか体験できない。人の感覚を、認識を体験してみたい、絶対できないからすごく体験したい、という興味と欲望は、どうやら私の根源的なもので、物心ついたときから今まで一貫して持続し、ますます盛り上がってきているらしい」
p.128-7「少し前に、ガラが悪いとネタにされがちな大阪の場所にいる高校出身の芸人が、テレビに出演した際に、自分の高校では机や椅子を投げるのを防止するためにくっついていたと、面白おかしく話したらしい。それに対して、府立高校はどこでもこのタイプだったのに偏見を助長する事実と違うとをいうのはやめてほしい、とやはり府立高校の卒業生の人が画像付きでツイートしていた。/私が通った大阪府立の高校はいちおう進学校のはしくれだったけどくっついていました。こういう自分の箔をつけるために『治安が悪い』を大げさにネタにするのがすごく嫌い。」
この2つの文章が一冊の同じ本の中にに印刷されていることは、私にとって、次のページに読み進められないほど著者への信頼を損なうものでした。著者は、お笑い芸人ができるだけ面白い話をするために誇張した発言の裏には「箔をつけるために『治安が悪い』を大げさにネタにする」意図があったと断言していますが、本当にそうなのでしょうか?
視聴者を楽しませようと出身地域ごと誇張的に自虐して笑いに変えようとすることは、出身地の治安の悪を誇張して自分を箔付けしようとすることと、絡まりあいつつもやはり論理的には別種のものであるはずです。にもかかわらず、どうせお笑い芸人は悪ぶっていっているに違いないと決めつけてそれを嫌うのは、お笑い芸人という他人と自分のあいだにある「感覚」と「認識」の違いを「体験」する貴重な機会をむざむざ手放すことではないでしょうか。率直に言えば、これは他者理解への可能性を閉ざす類型化です。
もちろん事実に基づかない誇張や、自分の出身地域をまるごと自虐することにより、そこにいる住人を苛立たせた芸人の発言は、よくないことでした。しかし、この著者の「すごく嫌い」という文末の感情は、別のページにある他人への興味と欲望への真摯な態度を、むしろ裏切るものであるように思いました。