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【感想回】アメリ|超絶ひとりっ子の狂気


恋人と、アメリを見た。

無造作な外ハネぱっつん黒髪ヘア、凛々しい眉毛、真っ赤なVネック。ビビットなカラーに、華奢な手書きフォントで「アメリ」と書かれているこの映画のポスターを見たとき、んーー可愛い!こんなの好みに決まってる!と思った。

けれど、このアメリの一見おちゃめであざとい視線は、見終わった今となればじっとりと鋭く、ちょっぴりゾクッとする。間違いなく、15%くらいの狂気が混じった目つき。

SNSで流れてくる縦型ショート動画かってくらいテンポよくポンポンと展開が目まぐるしく進んでいくこの映画、情報量が多くてついていくのに精一杯だった。当時はこういうの、珍しかったんだろうか。それとも時代が一周したんだろうか。(フランス映画はほとんど見たことがないのでわからない)

映画を一緒に見ていた恋人はいつものように、見終わるとすぐに考察を語ってくれる。映画の中に散りばめられている要素をすくい上げたり、監督がどんな人か想像したり、伝えたいメッセージを掴んだり、比喩や象徴を見抜いたり。まじで映画評論家みたいで面白い。これに関しては本当に、私もどこぞの元彼女のみなさまと同様に「へ〜すごい〜!感想賢いね〜!」の一言に尽きる。

私とて広告マンの端くれなのに。映画なんて、意図なくして映像化される部分など一つもないと心得ていながらも、よくわからないまま何気なく過ぎ去っていくシーンの多いことよ。それをたった一度見ただけで、隈なく捉えてしまう私の恋人。すごいを超えて、怖い。

私の感想はといえば。
フランス人の会話のグランドルールが理解できず終始混乱していたし、皮肉まみれで居心地が悪かった。それに、アメリの孤独を想像して気が遠くなっていたし、自分の中に潜むアメリ性を指摘されている感じもして、不穏な気分で2時間半を過ごした。

そもそもアメリに限らず、フランス人の会話は基本的に不穏で怖い。彼らのプライドの高さ、高慢さ、美意識。直接的表現と、間接的表現のバランス。人をけなすときや、褒めるときに使うべき表現と、避けるべき表現。暗黙のルールが多すぎる。

「フランス人とは仲良くなれない」と恋人に言うと、京都人に通ずるものがあると言うので私は口をつぐむ。そうだ、彼は京都人だった。その前提を無視したコミュニケーションをとって、今までに何度もこの人の地雷を踏んでいる自覚がある。京都人ですら理解不能なのだから、フランス人なんてハードル高すぎるやろ。

とはいえ基本的に、アメリはポップでキュート(と恋人は形容していた)な映画だった。笑えるシーンはたくさんあったけど、私が面白さを認識するより先に恋人が笑い声を発するので、ワンテンポ遅れている私はいつ笑えばいいかよくわからなくなっていたけど。心の中は「あっ、今のところ…。いや私だって面白いと…思ったよ…」という具合。面白い!は沸点を逃したら、呆れるほどつまらないのに。

まあともかく、ポップでキュートなのだ。
アメリは可愛いし、不器用だし、おちゃめなのだ。

けれど、「アメリ可愛い〜!っていう感想しか持たないような女とは付き合えへんなぁ」と恋人は言う。いや確かにアメリは可愛いけど(フランス人の美人女優が演じてる時点で可愛さ確定)、さすがにこのホラーみたいなカットや効果音の多さに、不穏さを感じない人なんている?とわたしは思う。

でも実際、恋人が見せてきたFilmarksの口コミには「可愛い」「お洒落」「おとぎ話みたい」「夢を見てるみたい」などと書いている人が結構いて、不思議な気持ちになった。ネットで検索しても、だいたいそんな感じの記事が多く目につく。

別に馬鹿にしている訳でも、マウントを取りたい訳でもなくて、純粋にいいなぁと思う。これを可愛い!夢みたい!と思える感性が、わたしは欲しかった。何かを手放しに100%の気持ちで素敵だと感じれることなんて、私にはありはしないのだ。

「アメリが単純に可愛い」で終われない理由は、アメリの苦しみを想像してしまうからで。
幼少期の経験から、他者との関わり方がわからないアメリ。でも本当はもっと人と深く関わったり、愛を交換したりしたくて、でも結局わからなくて、一生もがいてるアメリ。最終的にアメリのもがきは少しずつ報われ始めるけれど、本当に少しずつで、最後はやっとスタートラインに立って幕を閉じた感じだった。

ハッピーエンドなんだろうか?これ。人生は果てなき旅路で、アメリは人よりも少し遅れて他者との関わりの扉を開いたのだ。その喜びと共に、ここから雪崩のように一気に人間関係の難しさを象徴するような出来事が次々と彼女を襲うはずだ。

孤独でありながらも一人気ままに漂うように生きていたアメリには、大切な人ができてしまった。それは幸せなことである反面、きっとすごく苦しい。人は幼少期に与えられなかったものを、喉から手が出るほど、一生欲しがる生き物だ。

アメリは母親を亡くしているし、父親は進んで娘に愛情を与えるような人ではなかったし、学校にも通っていなかった。だからアメリはきっと、人の温もりや愛を一生追い求めるだろうし、孤独もずっと付き纏うだろう。

そんな生い立ちだから人との関わり方が不器用で、0か100でしか人を愛せない。恋人に対してもきっとそうだ。やりすぎて相手が離れていってしまうことだってあるだろうし、やり方が独特で怖がられることもあるだろう。(あの恋人は相当変人だから、そんなことないのかもしれないけど。)

そして知るのだ。1人の孤独は果てしなく広いが、2人でいても孤独だと。2人の孤独は狭く、果てしなく深いということを。

…ちょっと勝手な妄想をしすぎてしまった。
ともかく、ここまで想像してやっと、エンドロールでバイクに乗りながら恋人を幸せそうに抱きしめているアメリを祝福したい気持ちになった。よかった、と。こんな幸せそうな表情ができるアメリは、この先もきっと色んなことを乗り越えていける。


話は少し変わるが、私はこの映画を見ながら、自分の中に潜むアメリ性について想いを馳せていた。誰かとおしゃべりしたいのに、それを許されなかった幼きアメリの目つき。大人になってもそっくりそのままで、アメリはいつもじっと人のことを見ている。

目が見えない人の聴覚がものすごく良くなる、みたいな感じで、何かが欠けると何かでバランスを取るようになっているのが人間というものだろう。アメリは人としゃべることを許されなかった代わりに、観察したり想像したりすることでバランスをとっていたんだと思う。その範囲が常軌を逸しているから怖いのだけど。

そういうの、ものすごく一人っ子的だなぁと思う。アフターサンに出てくる娘のソフィーも、周りの人間を見るときに同じような目をしていた。輪の中に入れず外から眺める、目的なき観察者の目。(兄妹がいるとどうしても奪い合いや与え合いが中心にあるので、自分の利益を最大化するために人を観察しているパターンが多いと思うけど。一人っ子はそうではない。)

同時に、一人っ子という生き物はものすごく人に喜んでほしい気持ちを強く持っている。兄妹がいる場合、兄妹に自分が与えられるものって色々あるけれど、親や大人に対して自分が与えられるものって、残念ながら喜んでもらうことくらいしかないのだから。兄妹がいない一人っ子は、大人に喜んでもらえるかどうかが、自分の世界の全てなのだ。

アメリは単に一人っ子ってだけではないから、それの究極こじらせ版って感じだけど。私の中にもアメリはいるなと思ったのだ。空想の世界を現実に持ち込もうとするところとか。人に喜んでもらうことに全力を注ぐ割に、喜ばせる手段がちょっとキモくて狂気的なところとか。
色々指摘されてるみたいで決まりが悪かったなぁ、随分と。


そして最後に、この映画みたいな性癖の角度で、わたしの好きなものと嫌いなものを述べて締めたいと思う。(クリームブリュレをスプーンでカチカチして割るの、全女子が好きだよね)

好きなもの。

お腹いっぱいなのにデザートを食べること。
好きなひとの襟足を愛でること。
人間観察と妄想を書き記すこと。



嫌いなもの。

美味しくも楽しくもない食事。
恋人から返信を待ってしまう無駄な時間。
テンポが掴めない会話。



アメリ、よかったな。
不器用で、一生懸命で、好きだったな。

暇な休日、孤独な夜、心が疲れたとき。
きっともう一度、見たくなるだろう。

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