あの夏「中山可穂」に出会ったことで、今のわたしが作られました。
日本は八百万の神の国。
ジェシーさんが日々の精神の安寧をもたらしてくれる神なら、中山可穂という人は、わたしの世界を作った「創造神」と言っても過言ではありません(全部過言)。
小説家・中山可穂。
これを読んでくれているあなたはご存知でしょうか……?
ご存知でしたら大変嬉しい。
わたしが彼女と出会ったのは、高校二年生の夏でした。
今も続く集英社「ナツイチ」の小冊子。
忘れもしないキャッチコピー。
「地獄の淵で痛いほど愛し合う、女と女」
そして、暗い表紙に浮かび上がる白い背中、砂の丘陵のような背骨の陰影。
これに惹かれて読んだのが、現在まで続くわたしの業の始まり。
本のタイトルは「白い薔薇の淵まで」。
ものすごくわかりやすい文章、というわけでもなく、なんならおぼこい高校生のわたしにはなかなかに刺激が強い作品でした。
女性同士の性愛。好きなのに傷つけあってしまうジレンマ。少しでもつつけば鮮血が噴出しそうな張り詰めた恋。
知的で洗練されていて、だけど繊細な叙情詩のような印象。
初めて読んだ時に、とても綺麗な文章だと思いました。話自体をすごく理解したわけでもないのに。
こんなに、感情を鷲掴んでぶんぶん振り回した挙句にギッタギタにしたあとで、優しく抱きしめてくるような文章がこの世に存在するのかと……。
メンタルDVセンテンス。
天才だ、と思いました。
「読書って楽しいかもしれない」そして、初めて自分の意志で「読みたい」と思ったの。
本が、大人に言われて読むものではなくなった瞬間。
自分で自由に使えるお金と行動範囲が広がってからは、本屋さんをかたっぱしから巡り、中山可穂さんの本を探しに行ったものです。
もともとの発行部数がそんなに多くないのかもですが、どうも、少数の人に深く愛されているようで、古本屋さんにもなかなかありませんでしたね。
長々すみません、わたしの思い出話など良いのです。
中山可穂さんの作品の中で特にわたしにブッ刺さり、いまだに刺さりっぱなしの作品・文章を是非にも知っていただきたくて、noteを書きました。
以下です。どうぞ。
猫背の王子・1993年
「女から女へと渡り歩く淫蕩なレズビアンにして、芝居に全生命を賭ける演出家・王寺ミチル。(中略)そして、最後の公演の幕が上がった……。」(裏表紙より)
かつての中山可穂の片鱗は絶対にあると思う。なにがすごいってしょっぱな書き出しからすごい。「自分とセックスしている夢を見て、目が覚めた」。
な、なんですって?自分と、セ、セックスを……?
デビュー作。なんて衝撃的な書き出し。もうこれだけで掴みはバッチリ。どういうことなの……と思って読み進めている間に、王寺ミチルという人にいつの間にか魅入られてしまいます。
史上最強のわがままでとってもすけべ。でも、一部の人を熱狂させる劇を作る才能のある人。とにかく、見ているこっちが疲れてしまいます。
ギリッギリまで中身の入った水風船みたいな感じ。しかも、中身は水ではなくて、濃い血液。
扱いを間違えると割れる。こっちも怪我する。常に危うくてハラハラする。主人公のこの感じは「白い薔薇の淵まで」の前後くらいまで続きます。
破滅的な人間ってどうしてこうも魅力的なのでしょうか……。
ちなみに、この作品はラストシーンも美しい。いえ、鬱くしいのです。
あの衝撃的な書き出しに重なるような感じで……天才かな?と思わずにいられない。
熱帯感傷紀行-アジア・センチメンタル・ロード-・1998年
最初にして現在唯一の紀行文。失恋・スランプ・貧乏から逃げるために36歳ごろの可穂さんが東南アジアを巡った時の話。値切り交渉バトルを繰り広げるほどの英語力が何度読んでもヤバいな、と思う。東南アジアへの憧れを植え付けられます。絶対水でおなか壊すのわかるし、日本のサービス業(ホテルなど)の丁寧さもしみじみ感じることが出来ます。1996年当時の東南アジアではシャワーからお湯が出る事さえ稀。
目的があるのが旅行で、目的がないのが旅。と言ったのが誰なのか忘れたけれども、まさにそう。お金が無くなるまで、それか、もう日本に帰っても大丈夫。またちゃんと生きられる、となるのが旅の終わりなのかもしれない。
「本当の孤独を知るために、人は一人旅に出るのかもしれない。本当の人情を知るために、本当に愛したのは誰だったかを知るために、本当に会いたいのは誰なのかを自分の心に問うために」は名文。
スマホが普及した今、海外に行ったとしてももうきっと完璧な孤独を得ることはないので、こんな風に生きなおすことはわたしには出来ないのだなぁ……。
白い薔薇の淵まで・2001年
雨の本屋さんで始まる恋。
高校二年生の夏に出会った作品です。
わがままで嫉妬深くて絶対ろくでもないのに、放っておけない年下の小説家・山野辺塁に振り回されるOL。
ラストシーンが賛否分かれたそうで……。
何度読んでもわたしにもわからないのですが、必ずしも答えを出すことが正解ではないのかもしれないです。
たぶん、読んだ人の思ったことが正解なのではないかな。
3年位前にTikTokで読書好きの方が紹介していて少し知名度が上がった気がします。
体調がいい時に読まないとメンタルがベッコベコになってしまう。お互いを大好きすぎて傷つけあって、でも離れられない。
抜け出せない蟻地獄のような命がけの恋です。
絶対に平穏な幸せは得られないのに、どうして塁みたいな人間はいつも魅力的で、勝手にこっちの人生ひっかきまわしていなくなるんでしょうね……。
浮舟(弱法師より)・2004年
主人公の女子高生・碧生(みどりお)が母親の死をきっかけに、父・香丞と母・文音(ふみね)、父の姉・薫子(碧生にとって伯母)の若い頃に何があったかを知る物語。
伯母の薫子ちゃんは、文音のことが好きで、香丞も文音のことが好きだった。「男が本気で女に惚れたら、奪うもんだ」という香丞と「どうせいつかほかの男に取られるくらいなら弟にくれてやるほうがいい、そうすれば親戚にもなれるし、一生どこかで繋がっていられる。女が本気で女に惚れたら、引くもんだ」と言った薫子ちゃんの対比が悲しくも美しい。
この薫子ちゃんはその後、亡くなった文音さんの遺体と思い出の場所巡りドライブをするという一定の層に刺さる行動に出ます。
せっかくなのでこの短編でわたしが、天才! と思った文章の一部を載せておきます。
「愛するひとにこのからだを愛撫され、その手のかたちで捏ねられ美しく磨き立てられた賜物のような乳房をいまだ持たず、持たざるがゆえに失う悲しみもいまだ知ることができないだけだ。」
はぁ……「好きな人に触れられたことがない」ということをこうもひんやりした美しい悲しみと共に書ける才能……うっとりしちゃいますね……。氷砂糖のような甘やかさ。
ちなみに、この作品で可穂さんが提示してくる「クリームソーダの正しい飲み方」をわたしは一生守ろうと思います。
隅田川(悲歌より)・2009年
冒頭、ふたりの顔を合成して赤ちゃんの顔を作るというプリクラ機をギッタギタにする女の子たち。主人公の視点で語られる女の子たちの描写がとても美しいです。若くしなやかで、青白い燐光を纏った神獣のよう……。
この物語はなんだか、全ページ表面張力でギリギリ溢れていない涙に覆われているようです。
ラストシーンが凄絶で美しい話のひとつ。
薔薇の花びらで真っ赤に染まる隅田川と、水に呑まれてゆく街。
絶妙に夢とも現実ともつかないな……とわたしは思っているのですが、実際、東京に行った時に隅田川を見て、「この川幅が、薔薇の花びらに……?」と現実ではあり得なさを覚えました。
が、同時に、もしそうなったら恐ろしくも目が離せない光景だろうなあと思ったものです。
主人公よろしく、わたしもスマホを構えるとおもう。
それにしても、中山可穂、ラストシーンで薔薇散らせがち。好きなのかな。
長々読んでいただいてありがとうございます。
ファン自認があるものに関しては、すべて「全肯定はしないけど、全部受け入れる」スタイルなので、もちろん中山可穂作品にだって「それはちょっと、どう……?」と思う部分もあります。
しかしながら、わたしはべろべろのファンなので、もはや「それも含めて中山可穂だよ……愛しい……」という気持ちになってしまうのです。
生きて、文章書いてくれているだけで良い。
新作が面白かろうがそうでなかろうが、そんなことは二の次で、どんな作品であれ発表されれば嬉しいし、見つけ次第脊髄反射でレジに持って行きます。
SNSなど一切していない上に、文壇付き合いもあまりないひとなので、作品が出るか文庫版が出るかしないと生存確認ができなくって……。
毎回、文庫版あとがきのためだけに文庫版買っちゃうもん。
もし、気になった作品があれば大変嬉しいです。
ここまで読んでくださってありがとうございました!
無害
追伸。
これだけ語っておきながら、上記の作品のほとんどは絶版だったりするのですよね…悩ましい……すみません……。
今のところ河出文庫さんから「白い薔薇の淵まで」は出てます!
河出文庫さん、「猫背の王子」も復刊してほしい。本当にお願い………お願いお願い……。
アマゾンKindleで読める中山可穂もあるので、こちらもそっとお知らせしておきます。
無害、電子書籍で活字読むのちょっと苦手なのですが、エッセイだとさらっと読める気がします。
「小説を書く猫」からおおよその住所を特定したのも良い思い出。
(もちろん実際に近くを訪れたりなんかはしてません!!)(恐れ多い)
どこ探してもなくてずっと読みたかった、「ルイジアンヌ」が収録されていて寿命がのびました。
読めてめっっ…………ちゃ嬉しかったほんとに。