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メランコリー


 突然だが、私は不安症である。多分。受診していないので正確には言えないが、家族に「被害妄想がひどい」と度々言われる事があるくらいには、多分だけれども不安症なのだ。
 何かしらの些細な不安は常に付きまとうが、とくにひどい不安……被害妄想というべきか、は決まって体調不良時に訪れる。

 木曜日にコロナの陽性反応が出た。しかし、水曜日から具合が悪かった。痛む頭を抑え、熱にうなされて寝込んでいるとき、なぜだか、この布団の中だけが自分の居場所ではないか、という錯覚がして、しばらくするとその錯覚すら消えて、「このまま居なくなってしまえばいいのに」とすら思うのだ。

 平常に仕事をしているときは陥ることのない思考に嵌まるのは、自分が社会を回す歯車の一員だ、という自負が無くなるからではと思う。それは少々大げさだけれど「社会の役にたてている」という安心感から「生きていても良い」という免罪符を手にする事を許されたような思考だ。しかし、事実として私が布団にこもっている間にも滞りなく社会は回るし、私が休み続けても職場は何とかなっている。代わりなどいくらでもいるし、私の代わりだと思ったものは私などの何十倍にも優秀なのだ。
 あぁ、ならば、いっそもう布団から出たくないなと思いながら目を閉じると、消えてしまいたくなる。
 ネガティブ思考のループで埒が明かなくなる。

 先刻「不安が消える対処法」という記事を読んだ。精神科医が書いたその記事によれば、不安解消の対処法は「アウトプット」であり①話す②書く③運動なのだそうだ。
 その中でなら「②書く」ことが自分に出来そうだったから、不安解消になんでも良いと思ってとりあえずこれを書いている。そもそも①は相手がいなければ成立しないアウトプット法だし、③の気力と体力がない。今すぐ出来そうだったのが②だった。

 これで不安解消が出来たのかはわからない。もしかしたら、不安解消ができるほど書く、という事はこんな事では無いのかもしれない。
 
 目下の不安はいつまでも何かが引っかかるように痛む喉と、外出自粛後の出勤。
 業務連絡が届くたび「休み中だから」と見て見ぬふりをしているが、非表示にするたび僅かに腹痛がする。それが「休息」なのか「逃げ」なのか判別出来ないまま、目を閉じて眠ろうとして、何だか暗い気分になる。

 と、しかしまぁ、これだけ書ける元気があるなら大丈夫だろうと自分に言い聞かす。






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