「紅葉と同じ色の頬」というタイトルを見た時、「意味がわからない」と思った。それが今の今まで筆が進まなかった理由のひとつでもある。 いや、言葉の意味は何となく分かるけど。「頬を赤らめる」って意味なんだろうけれど。 言葉の意味を理解しながら意味が分からないと思うのは、その事象を自分自身に置き換えた時、頬を赤らめる事が無くなったからだ。なら、何時だったら頬を赤らめていた経験があるのかと言われればそれもまた分からない。もう思い出せない。 何かある度に「緊張」はする。しかしそ
今年の8月、久しぶりに花火をした。 その前に花火をした事は何年前の事だか思い出すことが出来ないけれど、たぶん5年くらい前だと思う。なぜ5年くらい前だと思ったのかといえば、義弟夫妻と夫と、小学校に上る前の姪が楽しそうに花火をする姿と、それをスマホに収める事に夢中な義母の姿を、今は亡き義祖母と共に眺めた記憶があるからだ。 コロナ禍に差し掛かったくらいの頃から介護施設で過ごし、その中で入退院を繰り返し、1月に天寿を全うした義祖母が健在であることを振り返ると恐らくは5年くらい前なの
「美しい」と思うものはいつだって洗練されて完成されている。「その存在」自体が「そう」であるから、それを作り出しているそれ以外のものは蛇足に過ぎない。例えばそう……洗練され完成されたチャーシュー麺にワンタンをトッピングなどしないように……あれは「チャーシュー麺」という形で完成された存在であるからして、ワンタンを味わいたいのなら多すぎるチャーシューが蛇足であるように……。 何が言いたいかと言うと、タイトルの「一目惚れした彼」である。 私の短いようでそうでもない今のところの人
ピーマンが嫌いだ。けれどゴーヤは好きだ。 しかし、詳しく言えば青椒肉絲は好きだがピーマンが嫌いで、ゴーヤチャンプルーが大好きだ。ゴーヤをゴーヤチャンプルー以外で食べたいと思ったことがないのでその他のゴーヤを食べたら嫌いになるのかもしれない。分からないけれど。 つまりは、組み合わせが重要なのだ。 そしてそれは何となく、自身と組織の組み合わせにも通ずる気がする。 自分がピーマンの立場で青椒肉絲以外受け入れて貰えないのなら、その役割に徹するだろう。だって、青椒肉絲のメインは牛肉
突然だが、私は不安症である。多分。受診していないので正確には言えないが、家族に「被害妄想がひどい」と度々言われる事があるくらいには、多分だけれども不安症なのだ。 何かしらの些細な不安は常に付きまとうが、とくにひどい不安……被害妄想というべきか、は決まって体調不良時に訪れる。 木曜日にコロナの陽性反応が出た。しかし、水曜日から具合が悪かった。痛む頭を抑え、熱にうなされて寝込んでいるとき、なぜだか、この布団の中だけが自分の居場所ではないか、という錯覚がして、しばらくすると
日々の疲れに身を任せ、ため息混じりに付けたテレビの中で、おもむろに開いたSNSの中で、昼夜繰り広げられるのはいつだって不毛な議論である。 いや、不毛な「議論」であるならまだマシだ。私が目にする画面上で繰り広げられるのは、いつだって、クローズド・クエスチョンに対する言いがかりだから辟易する。 イエスかノーかで答えることができるモノ、それはこの世の道理で規則なので、福島県人、それも会津地方の出身者(と言えるほど尊い出身地ではないが)に根深い言葉で言えば「ならぬものはなら