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紙博のイベント参加で知った自分の枠と思いこみ

今回は、先日紙博と言うイベントに行って感じたことを書いていきたい。

紙博とはどのようなイベントかと言うと
紙もの作家が集う大博覧会だ
ノート、マステ、ポストカード、シール、活版、文房具、
ガラスペン、インク、はんこ、そして美味しいおやつ。
これら数々の作品たちが集結する言うならば、紙もののお祭りなのだ。


そのイベントに初参加したのだが、なぜこのイベントに参加しようと思ったのかを
今日は書いていきたい。
私はこういったイベントや自分の好きに関して、子供ができてからと言うもの参加したことがない。

なぜならお金がもったいないと思っていたからだ。


こんな物にお金を使うぐらいなら子供たちの好きな物や食べたい物、行きたい場所にお金を使ってやりたいと思っていた。
と言うより、そうすべきだと思っていた。
だから、自分のためなんかに使うなんてと罪悪感を持つようになっていた。
母親とは子供を優先すべきだと必要以上に思っていた気がする。
しかし、そうして自己犠牲を続けるとやはり我慢をしていることになるので、
子供にこう言い始めるのだ。

「あんた達のためを思ってしてやってるのに…。」と

こんな言葉を浴びせてまでするべきことだろうか?
自己犠牲は本当に母親に必要なのだろうか?
自己犠牲よりも自分の好きを知って楽しんでみてはどうだろう?
母親であろうと楽しむ方が自分にも子供にもいいのではないか、と考えを変えて行動してみたのが今回の紙博への参加だ。
参加するのに罪悪感を捨て、楽しむために行こうと決めて行ってみた。
娘も紙ものが好きなので、共通の趣味として共に参加した。
子供や夫に遠慮もしない。
とにかく楽しんだ。

すると、満足度は上がり、すごく満たされた!
充実感が半端じゃなかった!

娘は娘であちこちブースを回って楽しんでおり、2人大満足の戦利品を手に帰宅。
夫は夫で息子と自分の好きを探す旅に出ていたようだった。笑
家族みんなが楽しい休日だった。
なんだこれでよかったんだ。

そう思うとホッとした。
これからはもっと楽しむことにした。
自分が何が好きでどうしたいのかを母親だからと我慢するのはやめにした。
自分をきちんと知って、家族に言葉にして実行していくことに決めた。
また一つ自分の枠が外れたような体感が出来た1日だった。
こうあるべきと自分の枠に自らを閉じ込めてしまうのはいつだって私本人なのだと言うことを改めて感じられて本当に良かった。

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