27歳、年齢と向き合ってみた
これを書いてから誕生日を迎え、わたしはすっかり27歳になりました。
年齢を意識することに対して積極的ではないのは26歳の頃から変わってないのですが、
ひとつ歳を重ねてマイナーアップデートされた価値観もあるかなということで、ここに置いておこうと思いました。
27歳、年齢と向き合ってみます。
「わたしいくつに見える?」
年齢を聞かれて「えー、わたしいくつに見える?」と返すやりとり。定番ですよね。
以前は「なんでそんなことを?」と思ってましたが、最近はだんだんとその気持ちが分かるようになってきました。
自分の年齢はさておき、まずは相手のイメージに重みを持たせたい。
「相手の目に自分がどう映っているか」を確認したいというよりも、「自分が何歳であるか」に対してどこまでも無頓着でいさせてほしいんです。
「いくつに見える?」の秘技はまだ使ったことはありませんが、近い将来、自然と口から出るのかもしれません。その時どう感じるのか、また新しい発見がありそうです。
27歳らしさとは
同年代の友人が様々な人生の節目を迎えている姿を見て、「27歳ってそういう歳なんだなあ」と感慨深くなることも増えてきました。
その度に「そういう歳とは?」って自分にツッコミを入れてます🙃
ひとりひとりの個性が尊重され、生き方が多様化してきている現代。
もはや「年齢に沿ったお手本のような人生」などないに等しいと思います。「××歳らしさ」なんて簡単には言い表せないものですよね。
それでいて、「27歳」という年齢に対してわたしはどこか特別で、幻想的なイメージを抱いてきました🪷
実際、これまでは人生に対して「参加賞」をもらえたらいいやー!くらいの感じでしたが、今は「努力賞」にノミネートされているような、緊張感に包まれた可能性にときめきを感じています。
カメのように生きたい
年齢はただの数字なのに、いろいろなところについてまわります。書類でも、自己紹介でも、年齢の提示を求められる場面はたくさんありますよね。人類は高度に文明化したものです。
最近ふと思ったことで、
人間もカメみたいに、「推定××歳」と表現できたら面白そうじゃないですか?
前後に余白のある「推定年齢」で生きるってなんだか気楽でいいな〜って🐢
正確な年齢は誰も知る由がなく、もはや興味もなくて、甲羅をじっと観察すればなんとなくその歴史や時間の流れが見えてくる。
わたしもカメみたいに、数字ではなく存在で語り、語られるようになりたいです。
様々な変化を経験する中で、時間には限りがあるという事実から目を背けたくなることもありますが、それでも自分なりに、柔らかく舞うように生きていければ。
心と身体に刻まれるものを慈しみながら、ゆっくりと、ずっしりと歩いていければ。
そんな27歳。
願わくば、推定25〜29歳です🤪
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