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ぼやけた世界も悪くない

指に乗せたコンタクトが目に収まる瞬間。
ぼんやりしていた世界が一気に輪郭を持ち、鏡の中の自分も目を覚ます。

わたしの1日は、レンズとともに始まります🐥

最近はICLのような技術も注目されていますよね。施術を受けたという友達の話を聞いて「快適そうだな〜」と思うこともあります。

でも、どれだけ技術が進化しても、わたしは眼鏡をかけてコンタクトを入れるこの日常を手放すことはないでしょう。

その理由を言葉にしてみようと思いました✍🏻

世界がぼやけ始めたのは

世界がぼやけ始めたのは、小学校低学年の頃。

視力矯正の苦労を知っている両親は、ブルーベリーのサプリメントを飲ませたり、目が良くなるという本を読ませたりとあれこれ試してくれましたが、やはり遺伝子には逆らえません。わたしの視力はじわじわと悪くなっていきました。

ただ、不思議と「眼鏡かけなきゃな〜」みたいな気持ちはなく、「眼鏡がほしい!かっこいい!」という純粋な憧れに満ちていました。

転機となったのは小3のある日の授業参観。

教室の一番後ろに座っていたわたしに母が「黒板、見えてないんじゃない?」と小声で聞いてきたのです。「全然見えなーい🤪」と答えたのが決定打となり、眼鏡デビューが実現することになりました。

レンズが変えた日常

紺色と水色で縁取られた子ども用の眼鏡をかけて、初めて校舎を歩いた日。

レンズ越しに見える世界はくっきりと鮮やかに輝いていました。それはもう、怯んでしまうほどに。

廊下の本棚にはこんなにもぎっしりと本が並んでいたなんて。教室の天井がこんなにも高かったなんて。床の木目ひとつひとつがこんなにも繊細な模様を描いていたなんて。

恐る恐る歩くわたしの手を友達が握ってくれた感覚までもが、心に温かく刻まれています🤲🏻

中2からは家では眼鏡をかけ、外ではコンタクトを付けるようになりました。今ではすっかり日常となっています。

視界を変える窓

わたしにとってレンズは、ぼやけた視界に新しい空気を吹き込んで、その日の景色を見せてくれる「窓」のような存在です。

また「見える世界」を作るだけでなく、「見られる自分」も表現してくれるのがレンズの面白いところ🤓

気分に合わせてカーテンを開けたり閉めたり、換気したり、時には雨戸まで下ろしたりするように。レンズのデザインや機能によって、自分自身の映り方を自由に調整することができます。

今日もご機嫌に世界と繋がっていられるのは、レンズのおかげです。

心と身体を守る盾

レンズは、心と身体を守ってくれる「盾」とも言える存在です。

ブルーライトカット眼鏡やサングラスは、眩しい光や紫外線といった「見なくていいもの」を遮り、目を保護してくれます。

1日の終わりにコンタクトを外してぼけぼけの世界に戻ると、全身がふっと緩み、安らぎに包まれていくのを感じます。

情報が溢れていて、見えすぎる、知りすぎることが当たり前の現代。「見えない時間」に身を委ねる瞬間が、心にゆとりをもたらし、新たなエネルギーを生んでくれるのだと思います💭

自分が間に挟まることでそのようなひと時を与えてくれるのも、レンズの粋な優しさですよね。

唯一無二の相棒

こうして眼鏡やコンタクトについて考えると「なんて優秀なアイテムなんだろう!」と感動せずにはいられませんでした🫢

クリアな現実を見せてくれるだけでなく、暗闇でも「全てを把握しなくても大丈夫」「ここにいるよ」と寄り添ってくれる。そうして、見える世界にも見えない世界にも安心して溶け込ませてくれる。

世界がぼやけ始めたその時から今までずっと、レンズはわたしのヒーローであり、唯一無二の相棒です。

そしてこれからも!🤝🏻

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