ツイッターへの返信



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への返し



慣れの視点は確かにある。

しかし裸絵にせよ、裸に寛容な時代が廃れたにせよ、そこをキリスト教視点におき止めるのは早計に思う。既にそれなりの性犯罪数あって、だからこそ性交防御の為に服がチョイスされたり、裸絵の否定が始まった可能性も


服着たからといってレイプの防御はできないだろうが、しかし服着て周囲から孤立してる女性が一人ポツンとしているのは可哀想なので、協調して女性達が服着る流れはありそう。


その流れはフェミニズムではない。むしろ単なる防衛であり、妊娠出産が命取りになる時代だから、むしろ無くてはならない行為。

当時のキリストが2000年後の未来を見えてたら言いそうなのは
「現代人はレイプに耐えても死ぬリスクまではない。だから時代を有難がり、レイプを受け入れる精神性を持て」

さすがにセカンドレイプにしか見えんので却下だが


》昔みたいにほぼ裸で出歩く・混浴みたいなもんに慣れると 「逆にヌードへのエロさが薄れるのでは?」

【裸にエロスを感じなくなったら、ちんこを穴にぶちこむ以外にエロ欲を満たす方法が無くなる】な可能性

当時にもし売春があったなら、その挿入の手段認知は現代のポルノコンテンツの様に犯罪数増加へと悪影響を与えたかもしれない。



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