何を大切に生きるのか。ゴーヤの季節が来るたびに思い出す近所のおじいちゃん。
さえこです。
最近、書きたいことが山積みです。
そんな時こそ、一つ一つだと言い聞かせて、本日チョイスしたのは、ゴーヤと近所のおじいちゃんのお話です。
何を大切に生きるのか。をいつも思い出させてくれるわたしの人生の一コマです。
近所のおじいちゃん、自分の庭に野菜を育てるのが趣味で、
毎年、夏になると、きゅうりとゴーヤをゴッサリと届けてくれておりました。
今の家に引っ越してきて、10年以上、毎年ゴーヤをごっそりといただくので、買ったことがありませんでした。ゴーヤチャンプルーだけでは食べ切れないほどだったので、ゴーヤカレーを作ってみたり。(これは絶品!!🍛)
そんな近所のおじいちゃんは、偏屈な人でちょっとした有名人でした。
言葉が悪く、文句が多い。
確かに、そこだけピックアップしたら、そうかも知れない。でも、わたしは、そのおじいちゃんが好きでした。
なぜか?
それは、言葉も悪く、文句が多かったかも知れませんが、
彼が伝えたかった内容は、決して相手を貶したり、嫌な思いをさせるためではなく、地域を平和に平等にしたい。との思いがあることが分かっていたから。
でも、それが周囲には、なかなか伝わらない。
そんな現状の中で、結果的に、そのような発言や態度になってるんだなって。わたしは、そう感じていました。
2年前に亡くなったおじいちゃん。
亡くなる数年前から、
高齢者は、生きているのは辛いだけ。安楽死制度が導入されればいいのによっ。と話していたっけ。
回覧板は、ポストに入れておくのが暗黙のルールとなっているけど、
わたしは、必ず顔を見て手渡ししていたっけ。
いただいた野菜を調理して届けると、すごーく喜んでいたっけね。
そうそう、いつもいただいてばかりじゃと、冷えたフルーツを切って届けたり。
そんなやりとりが、わたしにとっては、とても心地が良かったし、
おじいちゃんも、少しは喜んでくれていたと勝手に思っています。^^
思っていても、発言しない方が、波風もたたない。
でも、結局、思っていても発言しない人の集まりは、結局、陰口のようなことでまとまってるな。と思ったりもする。
野菜作りが上手な人に悪い人はいない。これは、わたしの持論です(笑)
これってこうだよね!
て感じることも、時には、多勢に無勢に 自信をなくす時もある。かも。
でも、
多勢の中身は、空っぽだったり、嘘っぱちだったり。もする。かも。
この人生の最後に、わたしは、これを大切に生きてきて良かった。
と思えるものを大切にしていきたいなっと。
久しぶりにここ1、2年、スーパーでゴーヤを買うたびに、そんな思いを巡らせています。
では、また。