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「デジタル資本主義」森 健 , 日戸 浩之他(東洋経済新報社)
実は2018年に出版された図書なので、6年も経ってから、今ごろ読んでいる。しかし、内容的には旧くなっていない気がする。6年前には、既に深層学習するAI(人工知能)も登場していたので、その影響はある程度、織り込み済みだし、歴史的文脈を踏まえた論考なので、今読んでも有用だろう。Amazonの紹介には次のように記されている。
日本を代表するシンクタンクが予測した、デジタル化経済のゆくえ
◆デジタル化が資本主義の“常識"を覆す
いま経済社会では、デジタル化の進展によってモノの価格が下がって企業が儲からなくなったり、シェアリングが広まったり、共有財を皆で管理する「コモンズ」が登場したり、といった動きが急速に広まっています。そうした変化は、GDPという従来の指標ではとらえ切れていないのです。
◆経済社会の将来像は?
本書は3つの大胆シナリオを描き出します。
(1)純粋デジタル資本主義=巨大企業による支配。ロボットに仕事を奪われ雇用喪失、格差拡大
(2)市民資本主義=個人のスキルや未稼働資産が、価値を生み出す資本となる経済。個人の力量が重要になる
(3)ポスト資本主義=初期費用以外の費用はほぼゼロになり、多くのモノが無料に。通貨や利潤追求、労働と余暇の区別などはなくなる
◆我々はどこへ向かっているのか?
本書は世界のITベンチャーの動向、生活実感を探る独自アンケート、日米欧の技術文化の比較や人々がロボット・AIをどう受け止めているかといった調査など、豊富なデータに的確な分析を加えています。
どのようなデジタル化社会を構築するかという課題に、貴重な示唆を与えます。
PARTⅠ 資本主義に何が起こっているのか
上の引用の冒頭に「日本を代表するシンクタンクが」とあるが本書は野村総研の研究員とコンサルタントが執筆したものである。パートⅠでは「資本主義に何が起こっているのか」として、私にとっては少々意外なことも記されている。
日本経済は第二次大戦後の高度成長期を経験したとはいえ、長いトレンドで見ると成長率は低下傾向にある。その傾向は米国も同様であるし、中国は目覚ましい成長を最近まで遂げてきたとはいえ、世界全体で統計してみると成長率は低下傾向にあるそうだ。その理由については、諸説あるそうだが、決着はついていない。ただ、数値には成長率低下傾向が見えているのは事実である。
また、興味深いことに日本は人口減少のトレンドにあるけれども、一人あたりのGDPは成長しているという。更に日本に特徴的な傾向として、労働生産性は向上しているのに賃金が伸び悩んでいる。また、実物投資(主に設備投資のことか?)も企業の純利益の伸びに連動していないという。これは、日本経済の特徴というか、むしろ、問題に見えるのだが本書では、その背景にデジタル技術の浸透があるのではないか?と推測している。
ところが、そのような問題がありそうなのに、野村総研が3年毎に実施している「生活者1万人アンケート調査」の結果によると、2006年以降は自分自身の暮らし向きを「上/中の上」または「中の中」とみなす人の比率が高まっているという。およそ1993年〜2005年の間は就職氷河期とも呼ばれた時期だったが、それを過ぎると自分の生活レベルがまずまずだと感じる人の割合が増えてきたのだという。ここには、GDP統計では把握しきれない生活の質的な向上があるのではないか、と本書は主張する。
本書では岩井克人を援用しているが、ハイカラ過ぎて私には理解しきれないので、結論だけ示すと本書では、現在の資本主義は商業資本主義から産業資本主義を経て、新たな段階に至ろうとしているところで、それを「デジタル資本主義」と命名して分析を行っている。
他方で政治的統合の面に目を向けると、西側先進国と言われる産業資本主義が成功した国々では代議制民主主義がセットになっているが、その歴史は必ずしも長くはないし、それを採用している国も少数派である。何より、資本主義は格差を生み出すのに対して、民主政は平等を前提としている点で、緊張関係が生じることにも注意を向けている。
PARTⅡ デジタル資本主義の登場
インターネットによる音楽や動画コンテンツのストリーミングサービスに顕著だが、定額の課金によって様々なコンテンツを享受できるビジネスモデルが普及している。特に気に入ったコンテンツをデータという形で購入することもできるが、個々のコンテンツを購入して所有することよりも定額で自由にアクセスできることで消費者にとってのお得感、すなわち経済学で言う消費者余剰がデジタル技術によって高まったと言えるのではないか。
この消費者余剰は主観的な評価であるゆえに、貨幣取引をトレースすることによって計測できないからGDP統計には含まれない。だが、この計測できない消費者余剰の向上が、前述したように生活レベルがまずまずだと自己評価する人の割合が増えてきた背景にあるのではないか。この「所有からアクセスへ」という傾向はコンテンツだけではなく、実物資産についても言える。それがデジタル技術によって登場した様々なシェアリングエコノミーである。
さらにデジタル技術は、コモンズとも呼ばれる公共財や準公共財を再構築することも支援する。産業資本主義は私的所有を推し進めて、農村内の共有地を囲い込み、農民の一部を都市の賃労働者に変えるところから始まったが、デジタル技術は消費の競合性や排除性を低下することによって、コモンズが存在しうる範囲を拡大する可能性を有すると本書は唱えている。
PARTⅢ デジタル資本主義の多様性とその未来
このパートでは柄谷行人による4つの交換様式のモデルと、川田順造による3つの技術文化のモデルを援用して、デジタル資本主義の未来のメインシナリオを3つ提示している。柄谷、川田のモデルについては割愛して、結論を述べると、先に引用したAmazonの紹介文の中で示された3つのシナリオである。
(1)純粋デジタル資本主義=巨大企業による支配。ロボットに仕事を奪われ雇用喪失、格差拡大
(2)市民資本主義=個人のスキルや未稼働資産が、価値を生み出す資本となる経済。個人の力量が重要になる
(3)ポスト資本主義=初期費用以外の費用はほぼゼロになり、多くのモノが無料に。通貨や利潤追求、労働と余暇の区別などはなくなる
(1)はディストピア的、(3)はユートピア的で、この2つのシナリオは極論だと本書では述べているが、だからと言って(2)が最もありそうなシナリオだとも私には思えない。現実には(1)と(2)のハイブリッドが最も可能性がありそうな気がしている。
一方には、巨大企業による富の創出があり、金融資産や知的資本を持つエリートがいながら、他方では平均的に貧乏なフリーランスが相互に協力・扶助しあって自由に生きる社会を私は想像している。
その時、一国がどのような政治制度によって統合されるのか。これは、大きな問題だが、現在のような代議制民主主義とは異なる政治体制になっていることも可能性としては考えられる。だからといって、大多数の庶民が不幸せなのかどうかもよくわからない。現代のニートの人たちや、江戸時代の町人たちの暮らしぶりに最近、関心が湧く由縁である。