陸軍特攻隊の面影が残る知覧より
戦時中、鹿児島県東部の
大隅半島・鹿屋には
海軍特攻隊の基地があった
そして、鹿児島県西部の
薩摩半島・知覧には
陸軍特攻隊の基地があった
その知覧にある
知覧特攻平和会館を訪れるのは
かれこれ4度目になろうか…
玄関を入ってすぐ正面に
掲げられている
「知覧鎮魂の賦」は
あまりにも壮絶過ぎて
しばし、心を奪われる…
知覧について
知覧は薩摩半島の南部中央に位置し、2007年の市町村合併で、南九州市の一部となっています。
町中には、武家屋敷跡が残るほか、陸軍特攻隊の史料が保存されている知覧特攻平和会館や、特攻の母・鳥濱トメ(とりはまトメ)さんの復元された富屋食堂などがあります。
また、少し郊外に行けば、見渡す限りの茶畑が広がる美しい場所です。
ここで栽培される有機緑茶「明花」(あすか)は、昨年のG7広島サミットで提供されたそうです。
知覧特攻平和記念館
巻頭写真の引き揚げられた零戦と、その他の展示物以外は殆ど撮影禁止でしたので、一部のみ掲載します。
この展示機は、映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」(2007年公開)に使われたものです。
ちなみに、一式戦闘機「隼」は、後年、ロケット開発の父と呼ばれた糸川英夫博士が、若かりし頃に開発を手掛けたもの。
2003年に打ち上げられた小惑星「イトカワ」への探査機は、「はやぶさ」と名付けられました。
なお、放映中のNHK朝ドラ「ブギウギ」第66話では、茨田りつ子(菊地凛子)が鹿児島において特攻隊員の前で「別れのブルース」を歌うシーンがありましたが、
史実では、淡谷のり子さんが若かりし頃、知覧でこのブルースを歌ったんだそうです。
富屋食堂と鳥濱トメ
「特攻の母」とよばれた鳥濱トメさんは、富屋食堂を営み、多くの特攻隊員の面倒をみていました。
トメさんは、特攻隊員を我が子のように慈しみ、私財を投げ打ってでも、彼らが食べたい物や、最後にやりたい事を叶えてあげて、禁じられていた家族等への手紙を預かったりしていました。
終戦後は、娘達と共に飛行場跡に墓標を立て、祈りを捧げました。特攻隊員の観音堂を建てるために奔走しますが、国賊扱いされ、罵られても、「慰霊のための観音堂がなぜ悪いのか」といって、闘い続けたそうです。
トメさんは、若者達の尊い犠牲を忘れないためにも、「特攻隊の真実を、次世代へと語り継いで欲しい」との強い意思を持ち続け、1955年、遂に知覧特攻平和観音堂が建立されたのでした。
万世特攻平和祈念館
知覧から薩摩半島西部の吹上浜の方に向かうと、万世(ばんせい)特攻平和祈念館があります。
この地からも、200人近い特攻隊員が出撃しています。
特攻隊の真実とは
では、「特攻隊の真実」とは一体、何なのでしょうか。
特攻隊については、これまで何度も書いてきたことですが、あらためて重要な3つの真実について書き記しておきたいと思います。
① 特攻は、断じてテロではない
未だ、特攻隊をテロと混同している人が居ることは残念なことだと思います(「子犬を抱いた特攻兵」が、一体どうしてテロリストに見えるというのでしょうか?)。
米国務省は、テロのことを「非国家組織によって行われる、政治的な動機による、民間人など非武装目標への計画的な暴力行為」と定義しています。
しかし、彼らに政治的な動機はなく、攻撃対象を軍艦とし、民間人を対象としたことは一度もないので、この定義には全く当てはまらないのです。
② 若くして優れた人格者
彼らの生きざまには、私たちが手本とすべき美しい青年の姿が凝縮されています。
親兄弟や仲間への思い遣り、子犬を可愛がる慈しみの心、嘘偽りのない誠実な人柄と、勇敢で責任感溢れる行い…
記念館に収蔵されている数々の遺書をみれば分かります。
実際、400人以上の特攻隊員を見送ってきたトメさんも「みんな、本当に美しい心の持ち主だった」と話しています。
③ 命令ではなく、自ら選んだ
彼らが残した数々の遺書。勇ましい文面をそのまま受け止めると、命令されたから、洗脳されたから、という印象を抱くかもしれません。
しかし、「行間」を読めるようになれば、そこに秘められた本当の優しさとか、崇高な人間愛が解るようになります。
そもそも洗脳とは、共産主義社会における思想改造のことをいいます。マインド・コントロールも、自ら考える力を喪失した状態のことです。
しかし、彼らは、苦境に立たされてもなお、自ら考える力を最後まで持ち続けていました。
そして、万策が尽きる中、愛する人を守りたい一心で、悩みに悩んだ末に究極の利他を自ら選んだのです。
平和な時代に生きる私たちの価値観では、彼らの誇り高い理念や生きざまを安易な言葉で裁定することなど、到底出来ないことだと思います。
年末に、映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を観て来ました。
フィクションですが、知覧の特攻隊員や、身の回りのお世話をする女学生、トメさんの生きざまをモチーフに描かれていて、終始ハンカチが手放せませんでした💧
強くて優しい人ーーー。
観客は、意外と若者層が多かったのですが、このシンプルかつ鮮明なメッセージは、これからの時代を担う彼ら若者の心に響いたことでしょう。
おわりに
この言葉をご紹介して、本稿を締めくくりたいと思います。
私達が何気なく過ごした一日は、
若い彼らがあれ程生きたいと願った
一日かもしれない
鳥濱トメ
何気ない毎日が、如何に貴重なものであるのかというなことを思い起こさせてくれる言葉ですね。
これからも、より多くの方々が知覧や鹿屋を訪れて、「一人一人が幸せに生きること」の大切さと、私たちは特攻隊員やトメさんから「より良い未来の創建を託されている」ということを実感して欲しいと、そう思います🍀