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言葉とヨガの花束を|パニック障害を経て

わたしがパニックを発症したのは今思えば小学生だったんじゃないかと思います。鬱になったのは19のときでした。

生きづらさを抱えながら、もがきながら生きてきました。

会社員の頃は、「わたしの言葉なんてきっと誰も求めてない」っていう前提で黒子に徹しておりました。

自分が誰かに影響を与える可能性があるなんて考えられなかった。

ですが、自分で仕事を始めてから考え方が変わりました。

お客さんの声を聴いてくうちに、信頼関係がうまれ、わたしの言葉を求めてくださる人が増えたからです。

『私たちは少なからず影響を与え合って生きている。だから自分が発する言葉にしっかりと責任を持たなければならない』と思うようになりました。

わたしは人の話を深く聴くことで、もしかしたら自分の言葉の影響力を感じることができたのかもしれません。

WLPのファシリテーターとして言葉を聴き、届ける役回りを与えられました。

届けた言葉が相手に染み込み、それがポジティブに醸造されたとき、ほんとうに感動してしまいます。

WLPを受けてくださったさやさんのこのnoteを読んで、より一層つよく、そう思えました。

わたしも赤ちゃんを見ているときが一番今ここにいられる気がします!


「わたしなんて」だったわたしが、自分の言葉に責任を持ち、一生懸命に選んだ言葉と愛が、相手に届いていたことへの感動。

言葉を伝えるって、
すごくいい仕事だな。

だからこそ、こういう発信も、やさしい気持ちで書きたいし、届けたいな、ってますます思えました。

そのためには日頃の感情のケアがとっても大切です。

内省したり、身体をメンテナンスしています。

いまでも毎朝モーニングページを書き、
毎朝ヨガをする日々です。

生きづらさを感じていたからこそ
幼少期からノートに自分の思いを書き綴ってきました。

ヨガをして、呼吸が丁寧になると、穏やかさがうまれ、余白と心身の柔らかさをつくってくれます。

わたしがヨガに出会ったのはパニックを発症したからでした。

振り返るとパニックがヨガと出会わせてくれたのです。

パニックはわたしの人生にとって
ギフトでした。

いまヨガを毎朝続けているのも、
産後にパニックを再発したからです。

今回はそこまでひどくなかったけど、
予期不安、焦り、強烈な不安感、だるさ、目の前に死が迫ってくるようなあの感じは、苦しかったです。

ヨガを続けているうちにすっかり落ち着いてきました。

毎朝10分ですが、ありがたいことに今はとっても元気。

わたしにとって言葉を届けることと、ヨガをすることは、
自分を大切にするために、同じくらい欠かせないこととなっています。

『いつでも呼吸が助けてくれる』

というのは私の敬愛するヨガの師の教えです。

これを書いていたら、WLPそろそろやりたいな!と思い始めてきちゃった。

あんまり人数は取れないかもしれませんが、待っててくださってる人もいるようですので…(ほんとうにありがとうございます。)

WLPの概要や、ご感想などはホームページにまとめていますのでよかったら見てみてくださいね。

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