こどもの幼馴染が日本からやってくる
自分の友達は、今でもつながっているのは、引っ越しをした小4の小学校の子達が一番古い。
小3までのことは、連絡も取れなくて、自分には幼なじみっていない気がしている。
その反動もあってか、子供達の小さいときにしていた自主保育のおかげなのか、年少さんという歳の頃から知り合って一緒に遊んできた仲間、お母さん同士だけでなく、家族でのつながりのあったわんぱく隊。
きょうは、そんな、自主保育のお話です。
自主保育、わんぱく隊(はじまるきっかけ)
時は、20年ほど前。下の子が生まれるタイミングで実家のある愛知県に夫の仕事の転勤で戻ってきた。
実家から近いところに会社借り上げで賃貸マンションに入る。
上は、3歳になったとこ、下は0歳の、梅雨の時期ごろかな?
市の検診に行ったときに張り紙を見つける。
自主保育をしませんか?
詳細は覚えていないけど、そんな紙だった。自主保育って何と思いながら、3年保育にするつもりもなかったので、おともだちが必要だなと思い、連絡する。
数日後、集まってみたら、呼びかけた2人と、私ともう一人。4人。意気投合して、早速始めることにした。
まずは近くで活動しているグループの見学。そして、自分たちの方針、活動場所、時間、曜日、グループの名前なんかを決めていった。
グループの名前は、わんぱく隊。
活動状況(どんなことしていたのかな?)
まだ、携帯を持っている人は稀な時代。遅れるとか、来れないなどは、パソコンのメールリストでしていた。
それも、多分、人数が増えた2年目くらいからかな。
親子で外遊びを中心とするグループだったので、近場の自然が豊かな公園を活動場所にしていた。
カブトムシの幼虫をほって探したり、落ちている枝を拾っていろんなお話の世界に入って遊んでいた。
私の下の子は0歳児だったので、授乳がすんで朝寝しながら参加。公園でも普通に授乳していた。
この活動を理由に、家の中はいつも片付いていなかったけど、シュタイナーについて知ったのもメンバーの中に、シュタイナー好きな人がいたからだし、何より、どの子とどのお母さんがペアなのかわからないという、みんなでみんなの子をみていた大家族モードもどきがとても好きだった。
お餅つきも、公民館を借りてした。
畑仕事もしてみたい、野菜を作ってみたいという話が出て、親のツテをたどり、畑を一部貸してもらって、いろんな野菜も作った。
芋掘りしたり、イチゴを食べられたり、花火会をして、花火持ったまま走って転んでちょっと火傷したりと、わんぱく隊らしいことたくさんできたと思う。
家族参加でキャンプにも行った。本当に濃い、数年間だった。私は下の子が幼稚園に年少で入るまで現役で、その後はOGとして参加。NZに来るまで、つながっていた。
幼なじみがやって来る
彼女は、そう、わんぱく隊をつくろうと呼びかけた2人うちの1人のお子さん。わんぱく隊で一緒だったのは、約1年弱。それぞれが違う幼稚園に入ってからは、お休みの時に集まる程度。
それでも、長い年月を経て、学生になり、バイトをしてお金を貯め、一度は旅行で、そしてその後、ワーキングホリデーで、NZに遊びにきてくれた。
今回は、特別な6ヶ月のVIZAをとって、NZで知り合った大切な人に会いに来るとのこと。
私たちに会いにきてくれるのが一番の理由ではないけど、あえることがうれしい。
その上、20年の時を経て、まだ、つながっているこどもたちの関係も嬉しい。(途中、一旦つながっていなくても、またすぐ繋がれるっていうのが)
私、いい仕事したな、と自画自賛する夜であります。
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