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最悪な過去との向き合い方

人生における悪いターニングポイントは、私には2つある。

1つ目は、中学時代のいじめ

2つ目は、28歳にマッチングアプリで会った借金のある彼氏に多額のお金を貸してしまい、自己破産されて飛ばれたこと。

人生の黒歴史は多いが、恥ずかしいのと変にプライドが高いせいで、今まで家族に相談したことはない。
(ごく少数の親しい友達には話している)

いつまでもネガティブな事柄を引きずってしまっている自分がいて、気持ちを整理するためにも書きたい。

時間で解決するしかないとわかっていますが、それ以外に何か良い方法があれば教えて欲しいです。

それぞれ詳細を書き連ねていく。

1つ目:中学時代のいじめ

これは突然始まった。仲良いグループの中で、少しずつハブっていく文化?みたいなものにショックを受け、人と上手く話せなくなった。

そんな様子を見てさらに面白くなったのか、数年は続いた。終わりも見えず、誰にも相談できない地獄の日々だった。

このことから、私は人と自然に話せるまでに時間がかかった。
いじめられていた時、私と仲良くしてくれようとする友達も、裏切った友達も、様々だった。この頃から、人間の醜さみたいなのが苦手だ。

仲良くしようとしてくれる友達に関しては、ターゲットがその子になってしまうのを恐れて、あえて関わらないようにしていた。

違う子がいじめられていたときも、私に向けば良いとあえていじめられるのを買って出ていた。助けられたその子は、あっさりと私を裏切りいじめの方に混ざっていた。その子は、自分がいじめられなくなって大層安心していた。

いざとなったら人は裏切る、助けてはくれない、人間は汚いなぁ、私はこうはなりたくないと、幼いながらに感じた。

この出来事は私の中でトラウマで、一時期、人に軽くでも触れられると叫んでしまっていた。
またいじめられる!!と思うからだ。この経験は心をえぐられた。今でも思い出すと苦しい日々だった。

人に触れられることに慣れるのは中学を卒業してから数年はかかった。

幸いなことに、中学を卒業するとメンバーが変わったので、いじめはリセットされた。またいじめられるかもしれないとびくびくしていたが、大丈夫で安心した。高校に入って自分を変えたいと強く思った。高校時代は人と馴染むことに精一杯だった。

2つ目:28歳にして人生の汚点となる「借金クソ野郎」

2019年4月、世界はコロナ禍になった。混乱と絶望の自粛生活の中で、初めてマッチングアプリをやってみた。

前述の通り、私は超初期(2019年3月)にコロナにかかっている。

自粛生活で単純に暇だったのと、仲の良かった友達とコロナで喧嘩し疎遠になり失い、味覚と嗅覚を失い、においがわからないとガス漏れにも気づけない…と一人暮らしが不安になった。この頃から始まる1年は、私の中で厄年だと勝手に定義している。

それほど、暗黒の時代となった。

コロナだから誰とも会うことはないだろうとたかを括ってやってみた。やっているうちに「結局会わないと何もわからないな‥」と思い、会うことに。そこで一目惚れした。

この人が人生最悪の汚点となる「借金クソ野郎」だ。

数回あって付き合うことになった。借金があると告白されたのは1ヶ月後くらいだった。
思えば、そいつには何度か違和感があった。

・「俺、押〇学と兄弟なんだ」と意味のない無駄なウソをつく
・発達障害があると脳のCTスキャンと診断結果みたいなのを見せられる
・投資ローンを組んだら、持ちかけてきた人に騙されて借金ができたと告白される

今となっては、なんでこんなやつ好きになったんだ?となるし、言ってることがヤバイなと思う。
バカなのは重々承知だがその時は、「付き合っているのだから、私が何とかしてあげたい!」と思ってしまった。

付き合って2ヶ月で100万円を貸した。

もちろん、これが返ってくることはなかった。メインは投資ローンで、あとはいろんな人に借りていて、それを返すために貸してほしいということだった。

当然ながらそれでは足りず、どんどん私から借りる流れになっていって、最終的に貸した額は中古の家が買えるくらいになった。

後にわかったことだが、最初は借りていた知り合いに返していたそうだが、また借りたりしていて、彼自身の借金も当初の何倍にもなって増えていっていた。
後半は、一攫千金を夢見て違法ギャンブルに手を染め、すべて溶かしたようだ。

貸す度に信じては裏切られ、何もかもが嫌になった。相手に対しても、そんな自分に対しても、だ。
最初は変わってほしいと思っていたが、人はそう簡単には変わらないという事実に毎回純粋に絶望していた。我ながらアホ過ぎる。振り返っていても全てに腹が立つと同時に悲しい虚しい暗い気持ちになる。

付き合っていた後半は「別れたらお金が返ってこない‥」という感情にも支配されていた。

バツイチ子持ちだったことが発覚

結婚したことがないと聞いていたし、まさかバツイチ子持ちだとは想像したこともなかった。
名前を間違えられたり、車の中に綺麗にたたまれたスーパーの袋があったり、怪しいと思うことが多かった。

結果的に間違えられた名前は元奥さんの名前だったし、アプリを辞めておらず、新しい子に出会ったりしていた。

ずっと信じていたので、めちゃくちゃに裏切られた。
突き止めたのは、それ以外のことで別れる覚悟ができていて、寝ている間に携帯を見たら、子供の写真が入っていて、バツイチ子持ちだったことが発覚。さすがに別れることを決意する。

実際に別れると、すぐにLINEをブロックされた。かろうじて電話は通じたが、お金を返してほしいと電話しても、「42たい‥」とうつ病になっていて会話にならなかった。

裁判をして返してもらう処置をしようかとも思いましたが、取れる財産も差し押さえられるお金も給与もないので、お金の無駄かなと思ってしませんでした。

ずっとモヤモヤしていた2024年の夏、自己破産の手続きをしていると弁護士から連絡があった。

このことについては、思い出せば出すほど、たくさん膿が出てくる。
当初は人間不信に拍車がかかっていました。今はある程度落ち着いていて、過去があるから今の幸せがあるのかな、とポジティブに考えようと努力している最中です。きちんと過去にできるのが何年かかるのかは未知です。まだまだかかりそうです。

すべての自分を肯定する、素敵な言葉に出会う

ひょんなことから、「人生万事、塞翁が馬(さいおうがうま)」という言葉に出会った。

さいおう【塞翁】 が 馬(うま)

  1. 昔、中国の北辺の老人(塞翁)の飼っていた馬が逃げたが、後に立派な馬をつれて帰ってきた。老人の子がその馬から落ちて脚を折ったが、そのために戦争に行かずにすんだ。このように人生の吉凶は簡単には定めがたいことをいう「淮南子‐人間訓」の故事による格言

人生の幸・不幸は、予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえだという。

人生何があったとしても、その面だけで幸・不幸は判断できないのだと、考え方を変えたいと思った。
今はそのトレーニングの途中である。まだ、あの日に戻れたらやり直したいと思う反面、過去があるから今があり、旦那さんと出会えたのかもしれない、とも思う。もし旦那さんと出会っていなかったら‥と想像すると、非常に悲しい。

現在の状況になるには、過去は欠かせないのか‥と考えて悲しい気持ちを落ち着かせようとしている。

まだまだこの傷が癒えたわけではないし、思い出さない日はないけど、それは私が今を生きていない反省するべきことなのかもしれない。
自分の中で、思い出にできるくらい過去のことと割り切れるまで、内省は続きそうだ。決して解決することのないことを、過去にできるまで‥。

さいごに

最後までお読みいただきありがとうございました。

皆様が過去と向き合うのにおすすめの方法などがありましたら、アドバイスしてほしいです。親しい友達に軽くは言っていますが、深く言ったことはありません。家族にも言ってませんし、もちろん、旦那にも言えません。

ぜひお力をお貸しください。

皆様にも、私にも、幸あれ!!!


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