内田百閒の『冥途』がたまらなく好きと書こうとしたら、芥川龍之介も何でみんな読んでないんだよと怒っているのを知った
どうもMr_noiseです。僕は内田百閒の『冥途』という短編小説がたまらなく好きで、好きすぎて自分で同じ文章をタイピングしたことさえあります。
写したら同じような文章書けるんじゃないかと憧れちまったんですよ。
『冥途』の話の筋は単純で、文章も岩波文庫のフォントサイズで4ページとかなり短い。夜、男が土手の下のめし屋にいると隣の席から聞き覚えがあるが誰かわからない話し声が聞こえてくる。その正体とは。そんなお話です。
言ってしまえば、よくある怪談噺なのですが、まったくと言っていいほど怖くない。それどころか、背景が浮かぶような生活じみたセリフも、何のてらいもないオチもすとんと胸に入り込み、寂しいけどいい話だなと染み入る。死後の世界との接触がこんなものであったらいいのにとすら思ってしまった作品でした。
僕は好きなものやことを語るのが苦手なのですが、『冥途』は好きすぎて、正直な感想が書けるかもしれないと、この文章を書き始めました。それに内田百閒作品ならネット上で青空文庫で公開していたりしないかしらとも考えました。紹介したらリンクを貼ってそのまま読んでもらえるかもしれない。それで「内田百閒 冥途 青空文庫」で検索をかけたところ、芥川龍之介が内田百閒作品について推薦している文が見つかりました。コレね。
『冥途』出版直後に震災にあったから、あんまり世に広まってないこと。その後の作品もいいのが多く、とくに『女性』の中の数編はめっちゃいいのに僕の周りで四人くらいしか読んでないのマジ遺憾なんだけど、みたいな文です。
芥川龍之介にいいねしたくなりました。ちなみに内田百閒は81歳まで長生きしたらしく、しばらく著作権は切れそうにないため、青空文庫には一作品も掲載されていないようです。そういや黒澤明監督の映画で、『まあだだよ』というのを昔見たことを思い出しました。
内田百閒の門下生が先生の長寿を祝って、死ぬのまだかい?という意の摩阿陀会を開くという内容。そういや長生きしたって映画だったな、あれ。内田百閒の作品をただで読めるのはまあだだよと思うのと同時に芥川作品が無料で読めるのは服毒自殺したからだと思うと変な心地になりました。
内田百閒と芥川龍之介の死後の話をなんとなく語ってこの文章を終わろうとしてますが、『冥途』についての文なので、縁起悪く終わってもいいと思いました。自己完結!
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