「ほんとうのわたし」との同一化に気づくまで《3》(日本に古くから伝わる、神話的な物語)
先週の「キス」サインからすると、このブログを「誇大妄想の戯言」と思われている方々が殆どだとわかります。
だからと言って、それを気にやんでいる訳ではありません。
それは致し方ないことだと覚悟して書いています。
実は、つい最近まで、「嫁」にもこのブログの存在について話したことはなかったのです。
同じ屋根の下で寝食を共にし、同じ体験をしているはずの「嫁」でさえも、そう簡単に、受け入れられない事が分かるからです。
うちの「嫁」は「スピ系」ですが、とても「合理的」な考え方の持ち主です。
たとえこれを事実だと声高に主張したとしても、常識から外れた内容への強要は、信頼を失うだけだからです。言葉の応酬で伝わる類のものではないことは、私も重々承知しています。
ですが最近、あろうことか、このブログを読んだようなのです。
そしてある日、私のところにやって来て一言、「私をだますつもり?」。。。と、言って来たのです。そこで私も一言、「何のために?」。。。
おそらくいろいろ考えたのだろうと思います。「体験した出来事」に相違がないことは、「嫁」も承知しています。考えたのは、「解釈(物語)」の部分だと思います。
そしてある日、やって来て言いました。。。
「もしあなたがすごく悪い人だったら、私にはもう誰を信じていいのか分からない」と。
最も身近な「嫁」でさえ、こんな反応ですから、「他人様」が信じられないのは当然だと思います。
さてでは、なぜ私はこの様な私事を永遠と書き綴っているのでしょうか。。。
「覚醒」もそうなのですが、「禅」は、その時々での「心の動き」が、重要になります。あの国難と呼ばれる「文永の役(元寇)」の時代にも、「禅」は、おおきな力を発揮したと言われます。それは、「鈴木大拙」先生の「禅の著作」にも、多くの記述が見られます。
ここ日本では、「禅」にあやかろうと、「神風」などと言う「思想概念」を展開した時期(太平洋戦争)がありましたが、単なる「精神論」へと偏向した「似て非なるもの」を、免れませんでした。
「禅」は決して、「思想概念」に収まる類のものではありません。
それは先の「秋月龍珉」氏の著作、「禅仏教とは何か」によらずとも明らかに思います。
「合気道の技(動く禅とも言われます)」の「気」一つとっても、人智が及ばないのです。
これらは、「精神論」的な「理屈」は立っても、実際的には「心身の根源」へと還元されてしまう類のものなのです。
哲学者のオイゲン・ヘリゲル氏の著作「弓と禅」においても、「文化的なパラダイム(西洋合理思考)」が邪魔をして、そこに到達できない姿が語られますが、少なくとも「いい加減な合理精神」ではない分、その真摯な態度と、探求の深さが共感出来て感動的でした。
https://bookmeter.com/books/496768
https://www.youtube.com/watch?v=zewp3GgeoCg
それでは、「覚醒の物語」のつづきを書いてゆきます。
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私もご多分に漏れず、リーマンショックの影響をもろに受けました。会社員人生で始めての失職です。
これは、きつかったです。
ちょうど子供が生まれたばかりで、これからどうしたものかといろいろ思案しました。
「会社経由の就職支援」、「職安」、「農業体験」、「職能技能研修」などいろいろ手を尽くしましたが、一年以上は失業の状態でした。失業保険のお陰で、最小限の影響で済みましたが、精神的には、かなりきつかったです。
そして、紆余曲折を経て「鳥取の会社」への就職が決まります。
嬉しかったですが、家族共々、全く縁もゆかりもない、遠隔の地での再就職です。
そしてそこで、あの「東日本大震災」発生の報を聞きます。
大地震があった事を知ったのは、会社の作業中についていたラジオのニュースからでした。被災された方々には大変申し訳ないのですが、「何と言う運命のいたずらか」と思いました。その間接的な影響は以前住んでいた東京の小平にも、前職の職場の同僚達にも及んでいて、風の噂では、死者が出たとの話も聞きました。
この話題は、「微妙な感情」を含んでいますので、書くべきではないのかも知れませんが、この「覚醒への流れ」のスケール感が伝わるのではないかと思い、書くことにしました。
決して「エゴ」からの発言ではありません。それは切に、信じて頂きたいと思います。
さて、これらの影響のためかはわかりませんが、「鳥取の会社」も業績不振に陥り、再び失職となります。新参者でもあり、切り易かったのだと思いますが、求められてはるばる東京から出て来た人間に対する仕打ちとしては、如何なものかと思います。
そして、再び3カ月にわたる「鳥取での就職活動」が始まります。
こう書くと、いつも失職している様に見えますが、「鳥取の会社」も3年以上勤めましたし、プロトタイプの製品化という成果も出していますが、この有様です。
まあ、知らない事情もあるかとは思います。
「鳥取での失職」は、相当にきつかったです。縁もゆかりもない場所での失職です。
まあ、地元の人たちは総じて優しかったのが救いではあります。
「神話」ではありませんが、ある時「シルエット姿のお河童の少女(大山の神様か?)から逃げ出す夢(空間全体がジージーと放電音を立てながら振動する迫力ある夢でした)」を見たこともあり、薄々はそういう事になるのではないかと危惧していたのも確かですが。。。「大山」は、「鳥取全体」を統べる「場の神様」です。
会社経由で借りていたアパートも、1カ月以内に退去せよとのことで家族を持つ身としては承服できず、会社と交渉して何とか延ばしてもらいました。
ですが、「鳥取での再就職先」の宛もなく、年齢もあって職安を使ってほうぼう探しても見つからず、その月に退去と言う瀬戸際にまで追い詰められたのです。
そしてもう、関東に帰って一から出直すしかないと、心を決めた土壇場のタイミングで、奇跡的に見つかったのが「京都の会社」でした。
これが必然????二度の面接の末、やっとの思いで繋がった蜘蛛の糸です。
当時は、そんなことで浮かれる余裕は微塵もありませんでした。
ですが、その後の展開は、目を見張るものだったのです。。。
さて、お待たせしました。
「覚醒期(覚醒ゲームへの気付き)」へ向けて、「神話的な展開」が始まります。