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「空」があるから僕は頑張れる
僕が子供だった頃、「わからないこと」や「知らないこと」と触れ合った時、とても「ワクワク」し「ドキドキ」していた。
「未知」のものに惹かれ、無心でそれらを追いかけていた。
手が届くか、出来るか出来ないか、分かるか分からないか、なんてことはどうでもよく、自分自身の好奇心に従って生きていたように思う。
その中で「空」は象徴的な存在だった。
暇さえあれば、家のベランダや屋根に寝転び、雲の動きに心を奪われ、いつしか自分も地球と一緒に回っているような感覚になる。
それがたまらなく心地よく、嬉しかった。
空を眺め、雲に乗れるのかな?空は飛べるのかな?宇宙には何があるのかな?なんて、子供ならではの際限の無い妄想力で頭の中に夢を描き出し、あっという間に一日が終わるのだ。
自分にはなんでも出来る、どこまでも行ける。疑うことは皆無だった。心底、自分の可能性を信じていた。
しかし、大人になる頃には、そんな夢や空想を言うのは「オカシイ」という世界に変貌することになる。
なんとか社会との折り合いをつけるため、ルールや常識を遵守することを優先するようになる。日々の仕事や生活に手一杯で、子供の頃に抱いた夢や、自分を信じる心や信じたい心は奥底に追いやってしまう。
たぶん、子供の頃に途方も無い妄想や夢を持っていた人ほど、その行為は辛く、苦しいものだろう。僕もそうだ。
今となっては、かつて囚われていたルールや常識から「うつ病」になることで運良く外れることが出来たため、ホッと胸を撫で下ろしているが、そうでなければ今頃は死して生きる状態だったのではと、戦々恐々としている。
とはいえ、これまで囚われていた常識やルールから完全に脱却することは難しく、心のあちこちをまだ縛り付けている。
日によって、その縛り付けが強くなり、一日が終わる頃には心身衰弱状態で家に帰るのだ。そういった状態に陥っている時は、歩いていても道路のアスファルトばかりみている。辛さに気を取られ、他のことに意識が向かないのだ。
そんな時は「空」を見る。
なんて綺麗なんだろう、どこまで広がっているんだろう、雲はどこへ行くのだろう。
そう、子供の頃に妄想していたアレコレが自動的に心身を満たしていくのだ。緩やかに、優しく、温かな波が僕を包んでいくのだ。
そして語りかけてくる「ねえねえ、僕はなんでもできるし、どこにでも行けるんだよ〜!」
子供の頃の僕だ。「空」に映るのは「子供の頃の自分」なのだ。
子供の頃の僕から発せられる数々の言葉で、心の奥底でもがいている「自分」の鎖が解かれ、放たれるのを感じるのだ。「そうだ、出来ないことなんてなにもないんだ」と。
こうやって、僕は今の僕を信じることが出来ているように思う。子供の頃の自分に助けられ、忘れていた自分を取り戻すことが出来ているのだと思う。
これからも、辛くなったら「空」を見る。
だから、僕は頑張れるのだ。