「ぜんぜんライトじゃない」辻征夫について
辻征夫は好きな詩人のひとりだ。ライトバース系といわれそうだけれど、書いていることはぜんぜんライトじゃない。
辻征夫はあるときは詩ができなくて道に佇み、あるときは外国で銃を撃ち、あるときは友人の電話にたたき起こされ、あるときはレイモンド・カーヴァーの作品を思いながら居酒屋の椅子のうえが転がり落ちる。詩のモチーフとして取り上げているものは生活的で具体的だが、その対象を通して見つめようとしているもの、あふれでてくるものには生きるうえでの弱さや脆さがある、と思う。
むずかしいことをやわらかく。
簡単なようで、とても難しいのではないかと思う。現代詩の方々に、いちど縛りをもうけてやってほしいとも思う。いっさい抽象的なことばを使わず、日常のことからのみをモチーフとして、詩をつくる。そのうえで、良い詩が作れるか、どうか。
素材として扱われる、ひとの生きるうえでのもどかしさや苦しさといったものが、やわらかくスマートに表現されるのは、辻征夫という詩人の力量なのではないかと思う――かといって、相田みつをのような達観、諦観のようなもので片付けないところに、「ぜんぜんライトじゃない」と言える部分がある。
いうなれば、レイモンド・カーヴァーのミニマリズムに近い。文学のうえに生活があるのではなく、生きることのうえに文学がある。その地表から、辻征夫の詩はゆっくりと飛躍する。
辻征夫の詩を初めて読んだとき、わたしはこういう詩を作りたい、と憧れた。憧れたときにはもう、故人だったのだけれど。