ハンナ・アレント「人間の条件」⑤ ポリスと家族

すっごい今更だけど表紙をみたら「ハンナ・アーレント」じゃなくて「ハンナ・アレント」であることに気付いたので、今回から「アレント」でいきます、といいながらたぶん気が抜けるとまた元に戻る。

もう前回の内容を覚えてないのでさっそく本題に入る。

ハンナ・アレントは社会という言葉の近代的使用法と近代的理解の複雑さについて言及したが、今回はその続き、たぶん。

■古代の私的領域と公的領域の深淵

古代ギリシアでは2つの生活の領域があったという。
ハンナ・アレントの説明をまとめるとこんな感じ。

①私的領域――家族など生物的結合
・生命の維持に係る活動力で作られる(労働)
・欲求や必要の場であり、個体の維持(栄養を与える男)と種の生存(生を与える女)を目的とする
必然(必要)から生まれ、その行動はすべて必然(必要)に支配される
・家長の前政治的な力(暴力)によって統治される絶対的な支配の場であり、厳格な不平等の中心である

②公的領域――政治
・ポリスなど人と人の共通生活に関わる活動力で作られる(活動)
「平等者」しかいない自由(フリーダム)の場
・一切の必要から自由になった場であり、不平等の働く領域(私的領域)から自由になることで参加できる

ハンナ・アレントは古代生活におけるこの二つの領域のあいだには飛び越えるために勇気の要る深淵があったと述べる。

たしかに、この2つの領域には大きな違いがある
いちばんの違いは、「平等性」だろう。

私的領域を家だと仮定してみてみると、その内部はまずもって平等ではない。

家長がいて、その下に家族がいる。家長は常に家族に単一の意見を押し付け、家族全体でそれを共通の利害として考え、生活する。その結果生まれるのが不統一の阻止だ。
このとき強制する力――上から下へと働く力は権威の力であり、家庭内では前政治的な力――暴力と呼ばれるものだろう。平等という言葉からは程遠い。

この一人支配(ワンマン・ルール)の状況と比べると、古代の公的領域――政治の生活には平等しかない。ここでは生存のための必要から逃れたものしかいない。なぜなら、このポリスの政治に参加できるのは家庭内で生存の必要をすべて押し付けた自由な家長だからだ。

つまり、ポリスで得られる「平等」の対価は、家庭内の「不平等」で支払われるということだ。

ハンナ・アレントはいう。

いずれの社会の体制であっても、政治的権威による抑制(前政治力=暴力)を必要とし、正当化するのは社会のための自由である。

古代ギリシアの時代、政治の生活に参加するためには必然(必要)を克服する必要があり、そのためには奴隷を支配して労働をさせたり、家族に家事や経済をやらせたり、ということが必要だったのだ。

つまり暴力は、世界の自由のために、生命の必然から自分自身を解放する前政治的行為である。

この暴力と、家庭という安息の場を捨てる勇気をもって家長らはポリスの政治に参加していった。
ここには自由(①必然と他人の命令に従属しない②自分を命令する立場におかない=支配されず支配もしない立場)しかない。

というように、古代の私的領域と公的領域には大きな深淵があり、はっきりと分かたれていたのであった。
公的領域という言葉には、この時点ではまだ「社会」という意味は含まれていないことに注意するべきだろう。「社会」なるものはむしろ家庭内部のことであり、そこにはほかの動物にも共通する「生物学的生命の必要」が存在する。「公的領域=政治」には必要は存在しない。だからこそ、必要しかない私的領域と公的領域は分かたれていたのだ。

しかし、今はもはやこのような社会への理解は通用しない。
かつて古代ギリシアでは社会的動物から政治的動物になるためには大きな深淵を乗り越える必要があったが、今、その深淵は存在しない。

この世におんぎゃあと生まれた瞬間から、私たちはすでに公的領域の内部にいるからだ。

■近代の私的領域と公的領域

前々回でたしか古代ギリシアの哲学者の脱政治をとりあげた。
すごくはしょった説明をすると、哲学者たちは「政治も生活の必要の一部じゃんめんどくせー」となったわけである。「もっと自由を!」と叫んだかどうかはわからないけど、その視線の先には神の思想を目指す「観照的生活」があった。

アリストテレスもそのことに気付いていたのか、こんなことを言っている。

「ポリスの歴史的起源は生活の必要と結びついていたに違いない。ただその目的(telos)が「善き生活」という点で、生命を超越しているに過ぎない。」

言いたい放題2である。
ハンナ・アレントはこれに対してこう述べる。

すべての生活様式のなかで最も自由な政治生活でさえ、依然として必然(必要)に結びつき哲学者たちがそれに従属していることの立証であった。

そしてこの考えはローマ帝国の滅亡で決定的になった。
不死を求めて作られてきた大帝国ですらも滅びるのだ。政治=生命からの自由=不死とはならず、不死を求めることは虚無的であると悟った彼らが永遠(神への道)を選び始めたのも不思議じゃない。
もうちょっと粘れよ、とは言いたいけど。

この流れをカトリックの布教が促進させる。

中世に話が進み、ハンナ・アレントはこの時代の都市政治の特権であった市民権のようなものはカトリック教会が与えた、という。

ここでも世俗的なもの宗教的なものという2つの関係のあいだには深淵とはいえないまでも緊張があり、この暗黒から聖なる輝きへの跳躍は「上昇」とされる。

しかし宗教的なもの=公的なものではない。公的な領域(カトリックの共同体)のなかで信仰者たちは結び付いているが、あくまでもそれは来世への関心による結びつきであり、これを古代のような政治的な場とつなげるのは少し難しい。単一の信仰者としての信者ひとりひとりが、来世への希望のために共同体のなかにいるだけで、公的な場を機能させるために存在するわけではないからだ。

但し、世俗的なものはそのまま古代の私的領域と結びつく
ここで私的領域=「世俗的なもの」としているのは、もはや中世においては家族の単位以上に社会がふくらみ家族(私的領域の原形)をモデルにした多くの共同体を都市内に作り上げているからだ。

すべての活動力が私的な意味しか持たない家族の領域に吸収された。

とハンナ・アレントはいう。
中世の生活では、公的領域が全く欠如していたというのだ。

■都市生活という社会はあるのに「公的領域がない」とは?


たとえばギルド、初期の農業会社などがこの中世の時代に都市に生まれる。
これらの共同体を作り上げる際に持ち込まれたのは「私的領域の内部での共通善」であった。

かつて古代の私的領域=家庭内で「単一の意見を押し付け、共通の利害」を持つことを強制したように、これらの共同体内部では「共通善」を共有する者のみが自身の家業に携わることができた(許された)のだ。

つまり、中世にも公的領域は一応は存在した。
しかしそれは、家庭が大きくふくれあがって作り上げた会社やギルドというもので構成されているに過ぎない、私的領域が拡大しただけの領域だったのだ。

こうして現代でも通用する意味での社会に近づいた感じがする。
古代において、社会は家庭の暗い内部での「生物学的結合」だった。
そのための必要である「経済行動」がやがて家庭(私的領域)から世俗一般の必要となり、社会ができあがってくる。

■家庭と社会の区別

それと同時に、互いの境界が曖昧になった
家計や子供の数や高齢者の問題などはそのまま社会全体の利益に直結する。家庭の問題は社会の問題となった。
その反対に、社会全体の景気や生産物の総量などは家計や種の存続に直結する。
社会の問題も家計の問題となる。

社会が勃興し経済行動が公的領域に侵入してくるとともに家計及び私的領域の問題が「集団的関心」となり、互いの領域への流入が止められなくなった。

ハンナ・アレントは現代についてもこう述べる。

(現代の社会は)巨大な民族大の家政によって日々の問題を解決するある種の家族。

市民社会においては「日々の問題を解決する活動」=「政治」は社会の機能の一部となっているとハンナ・アレントはいうのだ。




私的領域と公的領域の境界が曖昧になった過程は以上。
ハンナ・アレントは偉大。まじ偉大。
偉大過ぎて頭がこんがらがってきたので今日はこんなもんにしておく。

次回は私的領域と公的領域の境界が曖昧になったことで、どんなふうに社会は変わったのか、についてだよ!

おわりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!

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