
思い出のネガティブ要素を薄める作業
人間関係につまずいて毒親系の本を読むと落ち込む。
自分は親に恵まれなかったんだ、愛されて育った人なら体験していることを知らずに育ったんだと思ってしまうから。
でも本当に私は不幸な子供だったんだろうか?
職場の人間関係のトラブルの根っこにあるのは親子関係で言えなかった気持ちであることや、いつも怒ってばかりだったと思い込んでいるのはそう思う場面ばかりを集めているからで365日×生きてきた時間ずっとということはなかったはずという視点を教わったことで母を「毒親」と認めさせたくて、なかったことにしてきた思い出をきちんと思い出していくと印象がフラットになっていくことを知った。
なぜなら「〇〇な人」とラベルを貼ってしまうと情報が偏ってしまうから。
そこで今日は母との思い出でよかったこと、うれしかったこと、子供にもしてあげたいと思ったことを思い出して書き出してみようと思う。
・手作りのマヨネーズパンがおいしかった
・粘土細工のワークショップについていったら講師に褒められた
むむむ…やっぱりあまり出てこない。
頑張れ。なにかあるはず。
・ドクターマリオ一緒にやったな
・ヨッシーの卵もやったな(パズル系ばかりだったな)
・山口智子さんが出てるドラマを一緒に見たな
・(外遊びが好きじゃなくて嫌々だったけど)一緒にバドミントンしたな
・買い物に行くとよくお昼は総菜で大判焼きとワカサギのから揚げ食べたな
・知ってる漢字競争したらいつの間にか母より書ける日が来たな
・じゃんけんとか絵描き歌してたな
・おかんの描く女の子は独特だったけど子供のころはうまいと思ったな
・栄養を考えてご飯を作ってくれてたな。
母のことを思い出すといつも険しい顔をして怒っていて言葉と身体的な暴力、罪悪感を使ったコントロールがされていた印象の方がどうしても強い。
こちらを見て笑うようになったのは子供を産んで子供と遊びに行った帰りの見送りの時くらいだろうか。
ついでに大人になってからのしてくれたことも書いておこう。
・娘が生まれて実家に行った日、誰よりも真っ先に迎えに来て部屋を整えておいてくれた。
・お祝いにたくさんのごちそうを並べてくれてた。
・よく野菜をくれる。
・ごくたまに子供を見てもらう。
・遊びに行くとお昼ご飯やらお菓子をごちそうになる。
・私が作った作品を部屋に飾ってくれてる
今はこのくらいしか思い出せないけど確かにじんわり心があたたまる。
いつまでも嫌だったことにとらわれ続けるのはもう嫌だ。
自然とありがたかったな、ありがとうって気持ちが湧き上がってくるようになるまで、嫌だった気持ちにも寄り添いながら少なくてもよかったことも思い出して前を向いて進んでいきたい。
いつかは自然と「おかあさん」と呼べるようになるかな?