見出し画像

『読むこと』と3度の『人生の転機』

こんにちは、長期的キャリアの充実をサポートするMovingboundary(以下MB)を運営しているSanoです。私のことをご存知ない方はこちらの自己紹介をご覧ください。

下記の記事でも触れましたが、自分の人生ではターニングポイントで何かを『読むこと』が、その後の人生に大きな影響を及ぼしています。

そこでこの記事では、私が『読むこと』で3度の人生の転機をどのように経験したのかお話したいと思います。


人生の転機は3回あった

自分の人生の転機といえるものはこれまでに3度あります。

1つ目は『中学1年生』の時期。

2つ目は『博士号取得直前』の時期。

3つ目は『独立直前』の時期。

この全てで、『読むこと』から新しい道への選択肢を得てきました。

いかに『読むこと』が人生の新しい道を切り開くことに影響するか、私の例で説明してみたいと思います。

中学1年生

これは本当に偶然なのですが、自分の学級を担当した国語教師が校内図書室の管理者でした。

たまに授業の時間を図書室での読書時間に充ててくれました。その時ふと手に取ったのが『別冊ニュートン』でした。

この頃はまだ読書習慣が身についてなくほとんど読書しない子供でしたが、なぜかこの『別冊ニュートン』に激しい衝撃を受け、いてもたってもいられなくなり、帰宅後、お小遣いを握りしめてすぐ書店に向かったことを鮮明に覚えています。

もともとアート、工芸、庶民の歴史が好きで本を読んだりしていて、理数系は好きではありませんでした。それが一気にひっくり返されてしまったのです。

それ以降、理系のある分野にのめり込み、わき目も触れずに博士号を取るところまで突き進んでいきました。

中学時代は多感な時期と言いますが、あの時のような強い衝撃を読書体験から受けたのは、今思い返してもこれまでの人生でその一回だけです。

まさにその後の自分の人生を決定づけた一撃と言えると思います。

これが1つ目の転機です。

博士号取得直前

そのくらい自分を魅了していた分野なのに、博士号を取る1年くらい前からモヤモヤ感が自分の中に出てきていました。

このモヤモヤ感は、自分がいろんな研究活動に取り組む中で周囲かとの雰囲気の落差を感じたことからじわじわと醸成されたものだったと思います。

博士号取得する1年くらい前には博士号取得の条件は満たせていたので、それだけ積極的に活動していたつもりではありました。

研究資金も獲得してある程度の評価もあったのに、活発に活動すればするほどにモヤモヤ感が膨れ上がりました。

分野のみんなが信じているものを信じれない。

議論が盛り上がってる場で楽しめない。

そんな状態に陥ってまいました。

今から思えば、研究活動を頑張ったことで経験値が増え、研究活動という行為への解像度が高まり、本来の自分との価値観のズレが鮮明になってしまったからだと感じています。

ただ、この頃はその違和感がどこからやってきていたのかわかりませんでした(30代後半から40代にかけて、アートや人文系もやっぱり自分にとっての核の一つだと気づくのですが)。

博士号取得後はアカデミックに残るにしろ民間就職するにしろ、なんらかのキャリアの意思決定が必要になるわけです。

でも、心ここに在らずみたいな状態で、なかなか就職活動に取り組むことはできませんでした。

そのような状態の時、別に就職を意識してたわけでもなく、興味だけに従い、自分が所属する学科の諸先輩方の修士論文を片っ端から『読む』という行動を取ってました。

そうすると、自分の専門分野を別の社会科学や工学に応用している修士論文に出会いました。

自分の専門分野は数学を使った現実とはかけかなり離れた研究だったため、数学が現実と接点を持たせることができることが自分的には衝撃だったのを覚えいます。

ここでも中1の時のような経験をしたわけです。

それから、またいてもたってもいられなくなり、その分野のことをネットで調べまくってなんとかその分野を産業活用している業界へ就職することができました。

全く想定してない分野に興味を惹かれ、なんの躊躇いもなくアカデミックから、ソフトウェアエンジニアへキャリアチェンジしました。

学部から博士取って研究員少しやってから就職するまでにおよそ10年間あります。その期間はひたすら自分なりに努力したつもりではありました。

けして短絡的に気まぐれで諦めたわけではないのに、なんの未練もなく気持ちを切り替えれたのが今思っても不思議です。『読むこと』のインパクトの凄さを感じます。

これが2つ目の転機です。

独立直前

狙いを定めた仕事でやりたい該当分野の論文などを読み込むほどのめり込んでいたので、入社後もその流れで仕事できたのは幸運でした。とはいえ研究開発職ではなく実践志向の現場だったので、思考しながら開発するの繰り返しでした。

すごい長時間労働の時もあったけれど、楽しんでいたので苦にならず、社会人になってから6年くらいは一気に時間が過ぎていきました。しばらく働きそのうち成果が出て部長職に任命していただきました。

その頃は会社も急成長していたので、やるべき事や問題が次から次に発生し、やることには事欠かない状況でした。そしてそこから多くを学ぶことができました。

しかし、部長職を7年くらい担当した頃、また何か違和感を感じるようになってきました。

部署も大きくなり、メンバーも自律し、特に問題は起きてないのに、部長任命当初よりはうまく組織を回せるようになっていたのに!

でも実はマネジメントの仕事を全然楽しめてませんでした。

自分の気持ちのせいかもしれないと思い、本を読んだり、マネジメントの勉強会に出てみたり、いろいろなことを数年続けたのですが、やっぱり楽しめませんでした。

そしてこの機会が今までに読んだことのないジャンルまで本を読む機会となりました。

心理学、精神療法関連、社会学、民俗学など人間と社会に関する書籍を大量に読みました。

最初は本を読んだ動機がマネジメントをどう有意義にしていくかということだったのですが、いつの間にか自分の内面を見直す機会になってました。

書籍がコーチの役割をし『読む』ことが内省を加速させたのです。

この結果、自分の違和感は、根本的に自分はマネジメントロールに適切な人間ではない、ということから来ているのだと理解しました。

また、並行して、普段から仕事でも自分の考察や作業内容をことあるごとにドキュメント化していました。それを振り返ることで、自分のパフォーマンスが高い働き方も確認することができました。

これらのプロセスから分かったことは:

自由・変化・スピードをこよなく愛し、自律して自分でできるだけの範囲を自分で実行したし、その時が最もパフォーマンスが高い。

組織の規模が大きくなることを自分ごとに感じることができない。

人に教えるのが苦手どころかむしろ苦痛。

これではマネジメントを楽しめませんよね。

部長職を受けた時は、自分自身のことがまだよく分かってなかったんです。

分かってない自分を他の人にも説明できないわけで、その当時の振る舞いで評価してもらったけど、実は本質的な自分と役職が適合してなかったというわけでした。

そして、会社を辞めて独立することになりました。

これが3つ目の転機でした。

『読むこと』で新しい視点を手に入れた

ここまで私の3つの転機を説明してきました。

いずれのタイミングでも『読むこと』がその後の人生の方向性を大きく変えることになりました。

書籍を読み、自分のことを書き残し振り返ることで、新しい自分の思考や行動スタイルを見つけ出すことができました。

これは、心理学の診断みたいに、瞬間的に評価できることではありません。

日々の思考や行動を書き残したり、書籍との継続的な対話を通じて実現できるものでした。

そして自分自身も時間をかけて様々な経験を積み、様々な感情に自分を晒すことが必要です。その上で、『読むこと』がきっかけを提供し新しい可能性を開いてくました。


関連記事

自己紹介

Movingboundary公式サイト

いいなと思ったら応援しよう!