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『ファーストキス』〜タイムリープによって芽生えた"淋しさの正体"〜

坂元裕二×塚原あゆ子という「ドラマファンが妄想で考えたんか?」といったような脚本家×監督のタッグが実現した。そして、主演として名を連ねるのは、坂元裕二の常連組である松たか子、そして、「夜明けのすべて」など飛ぶ鳥を落とす勢いの松村北斗である。
前々から坂元裕二の描くめんどくさくて不器用な男が松村北斗には似合うと思っていたので、とても楽しみにしていた。

タイムリープ×恋愛という、言わば使い古されたあるあるのジャンル。正直この座組でなかったら、「またか...」と思って見に行ってないだろう。坂元裕二がどのように調理するのか気になっていたが、期待以上のモノをこの映画から貰うことができた。


1 .人生の結末よりも、それまでの生きた時間を幸せにするためのタイムリープ

カンナと駈の夫婦生活は冷め切っていた。寝室は別、ご飯も別、会話はなし。そもそも、カンナは柿の種の柿が好きで、駈はピーナッツが好き。カンナは朝ごはんパン派で、駈はご飯派と、そもそも趣味嗜好が全く異なる2人だった。恋をしている時は相手の欠点が見えないけれど、夫婦になると些細な感覚のズレが欠点として4Kで見えてくる。

「好きなところを発見し合うのが恋愛、嫌いなところを見つけ合うのが結婚」

そのズレを放置して、ボタンを掛け違え続けた結果、離婚する寸前という最悪の夫婦仲で死別した。だからか、カンナは駈が死んでもさほど寂しくはなかったのだろう。駈の遺影は暗い部屋に置かれ、埃が被っていた。部屋を掃除する心の余裕はなくなっていたけれど。それでも、さほどショックを受けているようには見えなかった。

しかし、首都高のトンネルを境界にして、カンナは駈と出会った日にタイムリープしてしまう。若かりし頃の駈に出会ったカンナは、駈の姿にときめく。なんだか、”今”の亡き夫がいながら、”過去”の夫と不倫しているような気持ちになりつつも、カンナは何度もタイムリープを繰り返すようになる。その理由は、未来が変えられることに気づいたから。もしかしたら、その日の駈の思考、行動を変えれば、彼が死なない未来を作れるかもしれない。カンナは何度もタイムリープを繰り返し、躊躇いなく、真っ直ぐに何度も駈に会いに行く。そして、関係が冷め切っていた夫の過去の姿に何度も恋をしてしまうのだ。

しかし、何度も何度も過去に戻り、様々な手段を試みた結果、カンナは気づいてしまう。もう、駈と結婚しない、出会わない。これしか、彼を救う手段がないことに…。しかし、数えきれない、何十回かのタイムリープで、カンナは未来から来ていて、そして、その未来で駈は死んでいることがバレてしまう。ついでに、離婚直前の夫婦だったことも…。なぜ夫婦仲が悪くなったのか、些細なすれ違いの積み重ねも…。カンナは、駈に「自分と出会わない、結婚しないように」と頼むも、駈は承諾しない。「死ぬとかよりも、君と生きる15年間の方が大切」と強く言い切って…。

そして、未来のカンナが帰った後、駈は、同じ時間軸のカンナに出会い、好きになり、結婚する。このプロポーズの時の駈は、ピーナッツが好きと言いながらも、カンナの好きな柿の種の柿をつい食べてしまう。ここからも、断固としてピーナッツだけしか食べず、柿の種の柿を残していた最初の駈からの変化を感じる。

そして、駈はカンナとの15年間をこの上なく幸せに過ごすべく、最初の時間軸で起こった些細なすれ違い、ボタンのかけ間違いを一つ一つ修復していく。その結果、40代になっても2人は同じベッドで眠り、同じ食卓でご飯を食べる。きっとこの変化は、欠点を指摘し合う関係から、欠点ごとその人を包み込むそんな夫婦関係になったからだろう。私は、夫婦に限らず、それこそが本当の愛の形なのだと思う。自分の靴下を間違って履く相手の行動を愛おしいと思えるかどうか。

しかし、結末は変わらなかった。駈は線路に落ちた赤ちゃんを助けて死んでしまった。でも、一つだけ変わったことがあった。それは、カンナに”寂しい”という感情が芽生えたこと。カンナは駈が残した手紙を読みながら、涙を流す。彼がいなくなってしまったことに悲しみ、思いを馳せて。最初の時間軸のカンナにはこの感情はなかったはずだった。でも、変わったのだ。それはきっと、駈との15年間がこの上なく幸せだったから…。

「淋しさは、まずはじめに好きだって思いから始まっていて、あの日出会って好きになったこと、なれたこと。それが、淋しさの正体です」

タイムリープで結末は変えられなかったかもしれない。だけど、大切なのは人生の結末ではなくて、それまでの生きている時間が幸せだったかどうかなのだと思う。「ファーストキス」はそんなことを思わせてくれる映画だった。

2.「花束みたいな恋」ではないカンナと駈

本作の序盤において、すこ〜〜し「え、これ花束みたいな恋をしたの再来!?」を漂わせる場面があった。それは、最初の結婚生活の場面。駈はカンナとの生活を養うために、好きだったものを諦めて、大学の研究室をやめて、慣れない不動産会社に勤める。しかも、休日に(ほぼ強制参加)の野球があるような。しかも、それが発端になって、夫婦間のすれ違いが始まっているように見えるのだ。これぞ、まさしく「花束みたいな恋をした」で男性側が資本主義の一員になり疲弊し、価値観が変わっていったことで、別れたあのカップルみたいじゃん!!??となるわけである。

しかし、この夫婦については、駈が好きなことを諦めたことがすれ違いの原因ではなかったことが後々わかる。カンナは駈が大学の研究室で働き続けるために、教授の娘(吉岡里帆)と結婚することが、彼の幸せだったのではないかと考え、彼女と結婚させるべく画策する場面があった。しかし、駈にとって、研究室にいることは幸せではなかった。なぜなら、教授は自分の強い立場に無自覚で、相手に我慢を強いるタイプだったから…。教授は、朝イチから、駈を起こしてまで、ジャムの蓋を開けさせるし、印刷物が足りないだけで、強い口調で攻めてくるし、さらには駈が咳き込んでいるにもかかわらず、ワインが苦手なことに気づかない。

これらの場面を見て、駈は、生活のためでなく、自分のために研究室を辞めたのだとはっきりと理解した。彼にとって研究室を辞めたことは不幸せではなかった。つまりは、夫婦仲がすれ違い始めたのは、このことが発端ではなかったのだ。ただ、本当に一つ一つボタンを掛け間違えていっただけ。それだけだった。「花束みたいな恋をした」と似たように見えて、全然違う男女の人生であった。そして、「花束カップル」とは違う道筋を辿ったのだ。カンナの”愛”ゆえの必死のタイムリープと駈の”愛”ゆえに大切にした15年間によって。

3.不器用な駈を演じた松村北斗

岩井俊二新海誠、、と数々の映画界のクリエイターたちを虜にしている松村北斗がついに”坂元裕二”にも見つかってしまったぞ…。この先10年くらいは邦画界から引っ張りだこになるのではなかろうか。というくらいの名演だった。こんなにピュアで不器用であどけない駈の姿見たら、そりゃあ、カンナは何度も恋をしてしまうだろ〜〜という説得力。(逆も然りで、真っ直ぐ突き進むカンナにも駈がどの時間軸でも恋をしてしまうのも、とてもわかる。結論どっちも愛おしいキャラクターなんだよね…)

カンナに不器用に思いを伝えようとするも断られてしまうシーンで見せた涙を目に浮かべて傷ついた表情。死ぬとかよりも君との15年間が大事と、自分の人生の結末を悟りながらも強く言い切ったシーン。カンナを愛おしそうに見つめる40代の老けた駈。その場面を切り取っても、とても魅力的なキャラクターであった。

4.過去の坂元裕二作品の感想ブログを添えて


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