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呪術廻戦最終巻〜最上級の愛の言葉「オマエがいないと寂しいよ」〜

2024年12月25日。呪術廻戦が完結を迎えた。
「愛ほど歪んだ呪いはないよ」という台詞があるように、呪術は呪いにも近い人を縛り付ける”愛”の物語だったと思う。

1.「オマエがいないと寂しいよ」

呪術廻戦30巻引用

呪術において「寂しいよ」って、最上級の愛の言葉だったのだろう。呪術廻戦0で、五条が傑の死に際に言った言葉。正解は芥見先生にしかわからないけど、五条「1人は寂しいよ」→夏油「最期くらい呪いの言葉を吐けよ」だったのでは?と最終巻まで読んで、私はそう納得した。(きっとこれは、読者が各々好きに解釈していいと思う)(ちなみに、先生曰く五条が0巻で一度発した言葉らしい)

呪術廻戦0巻引用

最愛の人に、「寂しい」って言葉にできた虎杖と、できなかった五条でそこが分岐点だったのだろう。でも、五条は夏油との死別(本人曰く置いていかれた)という経験から、「強く聡い仲間を育てる」ために教育という道を選び、その根底には「もう誰も置いていかれないように」という思いがあったからで...。そう考えると、五条の思いはちゃんと教え子たちに届いて、虎杖と伏黒は、良い意味で五条と傑とは違う道を歩んだ。

呪術廻戦26巻引用

それにしても、虎杖の「今の(瀕死状態)の伏黒に生きろなんて(そんな簡単なこと)言えない。(生きても地獄が待ってるかもしれない)でも、"俺は"お前がいないと寂しいよ」ってめっちゃ呪術っぽくていいな〜と!
つまりは、俺のために生きてくれということで。基本的に呪術のキャラクターって"あなたのために"っていう自己犠牲とか偽善っぽい優しさってなくて...、"俺が""私が"こう生きたいからこうする!!みたいな済々としててかっこいいんですよね...。

それこそ、伏黒の「俺は不平等に人を助ける」とか野薔薇の「懸けられるわ、私が私であるためだもの」も倫理観とか道徳とか建前とか以前に"自分"が軸にある台詞で、とても好きだ。

2.一人称”俺”の五条悟について

私は五条が宿儺戦で死んだ時、正直生き返ると思ってた。というか、そもそも死んでないと思っていた。だって最強だし?五条×伏黒の師弟関係が好きな私にとっては、「五条!!あんた伏黒まだ救ってないし、父さん殺したことなんも伝えてないじゃん!」って感じだし、「傑の身体乗っ取った脳みそ野郎ちゃんと自分で始末しなくていいの!?」って...、五条にやり残したこと多すぎて、最初はまじか〜って少し受け入れられなかった。
けれど、呪術廻戦26巻「南へ」にて、今際(空港)で傑に会った悟の満面の笑みを見て、「あ〜、この人は高専時代からずっと時が止まったまんまだったんだな」と思わされた。

呪術廻戦26巻引用

彼は、傑に置いていかれた時から、止まったまま。
教師としての一人称”僕”の五条は呪術師の教育のために勤しんでいたけど、個人としての一人称"俺"の悟は、傑と横に並んで「2人で最強」と言えることをずっと望んでいた。

乙骨のセリフで、「僕たちはみんな!ずっと怪物になることを五条先生一人に押し付けてきたんじゃないか!?」とあったように、読者である私たちも勝手に彼一人に背負わせすぎていたのかもしれない。彼はきっと最期、この上なく幸せだったはずだ。

呪術廻戦30巻引用

最後に私の好きなアニメ呪術廻戦主題歌2つを添えて。

アニメ2期終了時の感想はこちら。

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